2010-01-01から1年間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(62)渡海僧(6)重源 6 運慶と快慶 4 

【わが身五十余年を過ごし、夢のごとし幻のごとし。既に半ばは過ぎにたり。今やよろづをなげ棄てて、往生極楽を望まむと思う。たとひまた、今様をうたふとも、などか蓮台の迎へに与(あず)からざらむ】これは後白河院が『梁塵秘抄巻十』に表明した極楽往生…

後白河院と寺社勢力(61)渡海僧(5)重源 5 運慶と快慶 3 

さて、話を東京国立博物館で開催した「東大寺の大仏」展に戻すと、会場には快慶作の『僧形八幡神坐像(勧進所八幡殿)』『阿弥陀如来像(俊乗堂)』『地蔵菩薩立像(康慶堂)』の3作品が展示されていた。 いずれの作品も線の切れが美しく、ささくれたこちら…

後白河院と寺社勢力(60)渡海僧(4)重源 4 運慶と快慶 2 

先日は栄西像を見るために鎌倉国宝館に足を運んだのだが、そこで運慶の作品と対面したばかりか鎌倉幕府が運慶一門を重用した形跡を知ることが出来たのは望外の収穫であった。因みに入館券には運慶作とされる「十二神将立像」が使われている。 では、何故鎌倉…

後白河院と寺社勢力(59)渡海僧(3)重源 3 運慶と快慶 1 

今から50年も前の中学の美術で、東大寺南大門の金剛力士像の阿形と吽形の見事な調和を目にして以来、長い間私の頭の中に「運慶と快慶」は対の存在として刷り込まれていた。例えは古いが、一世を風靡した漫才コンビの「ダイラケ(ダイマル・ラケット)」の…

後白河院と寺社勢力(58)渡海僧(2)重源 2 天竺様式建築

大仏修造については宋人鋳物師陳和興(ちんなけい)の革新的な技術を登用してほぼ三年をかけて成し遂げた重源であるが、次の難題は大仏殿修造である。 天平17年(745)年に聖武天皇の勅願により東大寺が創建された頃は、遣唐使がもたらした大陸文化・仏…

後白河院と寺社勢力(57)渡海僧(1)重源 1 宋人鋳物師

治承4年(1180)も押し詰った12月28日、「王法仏法」の象徴ともいえる東大寺が平重衡の焼打ちによって灰燼に帰した。 翌治承5年(1181)3月17日、左小弁兼蔵人の藤原行隆が十数人の鋳物師を引連れて焼損の実態を調査し「修造不可」の結論に…

後白河院と寺社勢力(56)商品流通と政治権力(14)鉄4 兼・兼

ところで「燈炉以下鉄器物供御人」を組織した蔵人所小舎人・惟宗兼宗の真の狙いは、鉄・釜・鋤・鍬など鉄器物の広域流通の支配だけでなく、全国に散在する鋳物師の業態を丸ごと独占支配するところにあったが、神人鋳物師の存在が大きな壁になって立ちはだか…

後白河院と寺社勢力(55)商品流通と政治権力(13)鉄3 廻船鋳

永万元年(1165)に蔵人所小舎人惟宗兼宗によって「燈炉以下鉄器物供御人」に組織された鋳物師たちは、左方供御人、右方供御人、東大寺─大仏方供御人の3つの集団に分かれ、主として畿内を中心に西国よりの日本列島で商売を展開していた。 中でも左方供…

後白河院と寺社勢力(54)商品流通と政治権力(12)鉄2 供御人

後白河院の時代には、鉄製品が高貴な身分だけでなく、一般庶民の暮らしにも農具や炊事用具として深く浸透していた事を全快述べたが、(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20101022) 生業として鉄製品を扱っていたのは鋳物師(いもじ)と呼ばれ、彼らの多くは鉄…

後白河院と寺社勢力(53)商品流通と政治権力(11)鉄1 鉄と貴

後白河院時代の暮らしに鉄製品がどの程度浸透していたのであろうか。先ず、高貴な方たちの鉄製品との関わりを、後白河院の命によって描かれたとされる『年中行事絵巻』の「真言院御修法(みしほ)」と「大饗」の場面から見てみたい。 「真言院御修法」は正月…

後白河院と寺社勢力(52)商品流通と政治権力(10)炭・続松・材

延暦13年(794)の平安京造営時に資材の運搬に用いられるほど川幅が広かった堀川は、淀津や丹波から伐採された材木が五条に荷揚げされて五条堀河に材木市が建つようになると、祇園社神人からなる堀川材木商人が京の建築資材を独占するまでになるが、京…

後白河院と寺社勢力(51)商品流通と政治権力(9)炭・続松・材木

『紫式部日記絵巻』の「産養」の場面は、藤原道長の娘・中宮彰子の皇子(後の後一条天皇)出産を寿ぎ、土御門殿(道長の屋敷)で煌々とした松明を(たいまつ)をともして夜通し賑々しく繰広げられた様のひとコマが描かれている。 (『院政期の絵画』カタログ…

後白河院と寺社勢力(50)商品流通と政治権力(8)酒3 美酒は寺

酒造りは神・仏前への供え物として、あるいは正月の自家消費のために神仏習合の寺院から始まったが、有望な収入源として次第に商業化して大規模になり、真言宗天野金剛寺、河内の歓心寺、奈良の興福寺、近江の百済寺などが積極的に酒造りに取組み、寺院生産…

後白河院と寺社勢力(49)商品流通と政治権力(7)酒2 造酒司対

中世の酒流通は延久(1069〜73)の宣旨によって造酒司(※1)が宮廷における酒の需給を管理し、康和(1099〜1104)の抄帳(※2)により決められた山城・大和・河内・和泉・摂津・近江・若狭・加賀・播磨・備前・備中・備後の12カ国の供御人…

後白河院と寺社勢力(48)商品流通と政治権力(6)酒1 刀自から

「久かたの、天の原より、生まれ来る、神の命 奥山の 榊の枝に、しらか付け、木綿(ゆふ)取り付けて 斎食(いはひへ)を斎(いは)ひ掘り痴ゑ 竹玉(たかたま)をしじに貫き垂れ 鹿じもの 膝折り伏して たわやめの おすひ取り掛け かくだにも我は祈(こ)い…

後白河院と寺社勢力(47)商品流通と政治権力(5)米

中世に諸国から米を徴集・貯蔵して、朝廷を始め諸司への配給を司っていた役所は宮内省に属する大炊寮であったが、主として彼らは次に挙げる三つの機能を担っていた。 先ず一つ目は朝廷の朝餉と昼御膳の米を賄う料所としての御稲田の管理、二つ目は諸司の朝夕…

後白河院と寺社勢力(46)商品流通と政治権力(4)菓子3 神人へ

京での栗の売買を目指す栗作御園供御人を自らの支配下に置こうと、『三条以南都鄙供御人等』規則を振りかざす御厨子所に対して、「われらは往古以来蔵人所に属して供御人役を備進しており、山科家殿御使並びに御厨子所使を名乗る貴方方こそ、我ら丹波国栗作…

後白河院と寺社勢力(45)商品流通と政治権力(3)菓子2 抗う者

琵琶湖畔の淡水魚を捕魚する漁師を京の六角町に呼び寄せ、供御備進の見返りに営業税を課して洛中の販売独占を与える 「六角町生魚商人」を組織した御厨子所が、更なる支配拡大を目論み、諸国から鳥、精進菓子(果物・雑采)を売買する商人を京の三条以南に招き…

後白河院と寺社勢力(44)商品流通と政治権力(2)菓子1 官の思

1.「三条以南都鄙供御人等」の意図 建久3年頃(1192)、源平争乱に伴う混乱から朝廷への生魚の調達に支障を来たした事に頭を痛めた御厨子所が、近江の琵琶湖畔の粟津・橋本で淡水魚を捕魚する漁師を京の一番繁華な六角町に呼び寄せ、朝廷への生魚供御…

後白河院と寺社勢力(43)商品流通と政治権力(1)生魚

中世初期商業を担った供御人・神人・寄人たちは、扱う商品が持つ固有な特質に強く拘束されていたばかりか、「商品流通」の支配を目論む政治権力との葛藤もからんで、近世商人にはみられない独特の行動を展開することになる。代表的な商品を通してその有様を…

後白河院と寺社勢力(42)寺社と商人(5)『座』と寺社

1.寺社を本所とする座 中世全期に亘って商業活動の前線で活躍した「座商人」は、宮中御厨子所に属して食物(魚介・果物・獣肉・野菜その他)や炭、薪などを献納する供御人が、朝廷の庇護を背景に組織して始まったが、鎌倉・南北朝時代を経るにつれて、大寺…

84 後白河院と寺社勢力(41)寺社と商人(4)美味しい『座商人

一等地に構える京の商業街でひと際目を惹いたのは、綿座商人・小物座商人・腰座商人・符坂木村油座商人などの『座商人』であったが(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/)、ここではその『座商人』に焦点を当ててみたい。1. 『座商人』とは 『座商人』は京で生…

後白河院と寺社勢力(40)寺社と商人(3)一等地を陣取る京商人

律令制的負担から比較的拘束されない調・庸・徭役負担者以外の家族、女性、住所不定の民、貴族・土豪の輩、農耕負担を免れている市人、宮司の下で手工業生産を行っていた織戸・漁夫・杣人などの賎民や工房奴隷的な階層から始まったとされる商人達は、荘園の…

後白河院と寺社勢力(39)寺社と商人(2)初期商人のプロフ

女商人の始まりは漁師のおかみさんが夫の漁師から魚を買って売り歩いた事から始まったとされていると前回に述べた(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/)が、 それでは、最初に商人の世界に足を踏み入れたのはどういう人たちであったのか。 昭和36年6月刊行の…

後白河院と寺社勢力(38)寺社と商人(1)京の女商人

「秋の日に都を急ぐしずのめが帰るほどなきおほ原の里」これは拾遺愚草に納められた藤原定家の歌であるが、幽玄な恋を謡う名手の目にも、商いを終えて薪や炭を頭上に載せて家路を急ぐ大原女は印象深かったのであろう。 平安時代の女商人の象徴ともいえる大原…

後白河院と寺社勢力(37)僧と女高利貸の近接〜聖か俗か?

中世に関する書籍を手にすると「中世には女性の金貸が多かった」とか「寺社と女性と金融・商業は相性が良い」といったフレーズに度々遭遇する。女性が虐げられた封建制度下で、実力行使を伴う債権取立を当然視する「自力救済」の時代に、高利貸の女性が多か…

後白河院と寺社勢力(36)坊さんに女とかけて「高利貸」と解く!

後白河院がパトロンとして描かせた幾つかの作品が見られると、「院政期の絵画展」を見るために、33度の炎天下を汗だくで奈良国立博物館に足を運んだ顛末は既に述べた(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20071121)。 中でも、悪趣味ぎりぎりながら目をそむけ…

後白河院と寺社勢力(35)「自力救済」と「小さい国家」

悪僧・神人や武力の輩に土地証書を寄進して、彼らの力を頼んで権利の代行を依頼する「寄沙汰」という自力救済が盛行した院政期とはどういう社会であったかといえば、中世が院政開始とともに始まったとの歴史観に立てば、それは正に激動の時代であったからと…

後白河院と寺社勢力(34)「寄沙汰」という自力救済

後白河院政期の終盤に発布した「建久の公家新制」で、悪僧・神人及び武勇の輩への私領の寄与を禁止し、土地証文の虚実を決し偽書ならば毀破することを命じたこと自体が、弱小開発領主の間で、所有の根拠となる券契・証文を有力者に寄進して、その力で土地訴…

後白河院と寺社勢力(33)経済を支える悪僧・神人(3)訴訟介入2

後白河院その人と彼の生きた時代を掘り下げてゆくうちに、「院政期とは、土地私有制度確立へと向かう中世のとば口として激しく揺れ動いた時代であり」「土地所有を巡る訴訟の時代でもあった」との認識を強く抱くようになった。 律令時代の土地は国家に所属し…