2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧
一の谷の合戦で生け捕りされた平重衡は東大寺・興福寺の伽藍を灰燼に帰した咎により南都の大衆に引き渡され処刑される運命にあったが、せめて死の前に煩悩を払いたいと出家を望む。しかし「頼朝に対面した後ならば」と後白河院に却下され、出家が望めないな…
1974年の長崎旅行でスケッチをして以来「お絵描き帳」はクローゼットの奥深く仕舞いこまれて茶色に変色したのだが、2005年7月に新たな「お絵描き帳」を入手してミニコンポを描いているのは、定年退職後1年を経て気持ちが落ち着いたからであろうか…
ところで吉田兼好は『徒然草』第146段で平家の護寺僧だった明雲について下記のように極めて示唆に富む逸話を残している。“明雲座主、相者にあひ給ひて、「おのれ、もし兵仗の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「まことにその相おはします」と申す。「い…
アパートの窓から児童公園を見下ろせた。右端に木の柵に囲まれた石段があり、子供たちはそこからとっとこ、滑り台や砂場やブランコに向かって駆け出す。週末に開け放した窓から、遊びに夢中になっている子供たちの声を聞いているだけで心が和んだものだった…
福原から数千騎を率いて上洛した清盛が内裏を制圧し、後白河院を鳥羽殿に幽閉して院の近臣を解官したあと、高倉天皇に譲位を迫って外孫の安徳天皇を即位させた治承のクーデターについては広く知られているので詳しくは触れないが、後白河院を排除しての安徳…
1969年頃は西武池袋線の練馬区で木造アパートの六畳一間で暮した。一階に大家さんが住み、二階に私を含む4人の店子、風呂なし銭湯通いで共有トイレの掃除も店子の当番制だった。 だからキッチンの流しで歯磨き・洗顔をし、夜遅く帰宅して銭湯に行けない…