2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(28)邪濫の僧

延喜14年(914)参議・文章博士三好清行(みよしきよつら)は、醍醐天皇の求めに応じて奏上した「意見封事12箇条」で、 「諸国の年分度者(※1)及び臨時の度者は年間200〜300人もありますが、その半分以上は邪濫の輩(ともがら)です。また、…

後白河院と寺社勢力(27)寺社荘園(6)義経逃亡と不入権

文治元年(1185)、源頼朝は源義経追補を目的として嫌がる後白河院を何とか説得して何とか守護・地頭設置を認めさせ、全国に有力な御家人を配して厳しい捜索を続けたが、その甲斐も無く2年近くも義経を捕縛することは出来なかった。その義経は頼朝の強…

後白河院と寺社勢力(26)寺社荘園(5)最大の寄進者―法皇

寺社荘園は院政期に入ると爆発的に増加するが、それもそのはず、もっとも盛大に寺社への荘園寄進を行ったのは白河・鳥羽・後白河の3代の法皇であり、彼らは、高野山・熊野・東大寺・興福寺・石清水八幡・延暦寺・園城寺・東寺などへ頻々と御幸し、また、修…