1.「三条以南都鄙供御人等」の意図 建久3年頃(1192)、源平争乱に伴う混乱から朝廷への生魚の調達に支障を来たした事に頭を痛めた御厨子所が、近江の琵琶湖畔の粟津・橋本で淡水魚を捕魚する漁師を京の一番繁華な六角町に呼び寄せ、朝廷への生魚供御…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。