2017-01-01から1年間の記事一覧

新古今の周辺(70)寂蓮(17)仙洞歌壇(2)『老若五十首歌合』

次は「本歌取り」と想像力との関係に焦点を当てて、この歌合で女流歌人の越前と競って勝ちとなった寂蓮の次の歌を採りあげたい。 秋 125番 寂蓮むら雨の露もまだひぬ真木の葉に霧たちのぼる秋の夕暮【現代語訳:ひとしきり降った村雨が止んでまだ間もない…

新古今の周辺(69)寂蓮(16)仙洞歌壇(1)『老若五十首歌合』

そうこうするうちに、正治2年(1200)7月、後鳥羽院より「正治2年院初度百首」への詠進の沙汰があり、寂蓮は8月の終りに百首歌を提出、さらに閏10月に『仙洞(※1)10人歌合』に出詠、相次ぐ10月の『院当座五首歌合』では定家と共に判者を勤め、…

1977年末アメリカ西海岸旅行(3)フィッシャーマンズ・ワーフの海老の背ワタ

シーフード大好きの友人と私にとって、サンフランシスコ湾に面したフィッシャーマンズ・ワーフは何をさしおいても足を運びたい所であった。何しろ目の前の海から水揚げされたばかりの魚介が、ダイレクトにレストランのキッチンに運ばれて客に饗されるのだか…

新古今の周辺(68)寂蓮(15)出家後の歌合(後の2)『御室撰歌

『御室撰歌合』は『守覚法親王家五十首』への撰歌合で、成立は正治元年(1199)から翌年にかけてとされる。判者は藤原俊成と記録されてはいるが、実際には出席者の審議の判断を考慮した判詞が記されている。この歌合での成績は、顕昭・守覚法親王・家隆…

(36)下描きあり・三原色+白で描く(1)二つのリュック

私の場合は、下描きの上に水彩絵具で彩色すると「塗り絵」状態に陥るので、それが嫌で、下描きなし・三原色+白で幾つか描いてみたが、単品野菜とかであれば何とか描けるが、風景や二つ以上の物を組み合わせると途端に行き詰まってしまった。 http://d.haten…

1977年末アメリカ西海岸旅行(2)雲上の年越し蕎麦

1977年頃の企業の仕事納めは12月29日が一般的で、12月30日から翌年の1月4日迄が年末年始の休暇であった。が、当時のパスポートの入出国記録を見ると、出国27.DEC.1997 HANEDA 入国4.JAN.1978.HANEDAのスタンプが捺されているから、あの頃の私…

新古今の周辺(67)寂蓮(14)出家後の歌合(後の1)『六百番歌

東下り、出雲大社参詣、さらに崇徳院を偲んでの四国讃岐への旅など漂白の時代を終えた晩年の寂蓮が、建仁元年(1201)に和歌所寄人に選ばれるまでに出詠した「歌合」から幾つか採りあげてみたい。先ずは、55歳の寂蓮が漂泊の旅を終えて初めて出詠した…

1977年末アメリカ西海岸旅行(1)アメリカ旅行にビザが必要だった頃

私が始めて海外旅行をしたのは1977年(昭和52年)末のアメリカ西海岸で、33歳の時であった。その動機と云えば、先ず、当時友人と通っていた飯田橋の英会話学校の成果を試したかった事。その英会話学校に通うに当たっては、私より若い団塊の世代の友…

新古今の周辺(66)寂蓮(13)出家後の歌合(前)

寂蓮は出家直後から福原遷都の前後の頃までは柿本人麻呂の墓所など都の周辺の和歌に関わる遺跡や歌枕の名所巡り、建久1年から2年にかけては出雲大社や東下りなど漂泊の旅を通して歌作りに磨きをかけていたようだが、他方で「歌合」にも連なり、特に晩年は…

新古今の周辺(65)寂蓮(12)『寂蓮法師集』にみる旅の歌

寂蓮は同時代の歌人の中では西行に次いで実際の旅を通した歌を多く残している。ここでは『寂蓮法師集』から旅先で詠んだ歌を幾つか採りあげて寂蓮の旅情を味わってみたい(原文で)。先ずは、34才で出家する承安2年(1172)年前後から治承4年(118…

(35)遅刻常習者から救い出してくれた「目覚し時計」

長年愛用してきた「目覚し時計」が故障して遂にお別れの時が来た。思えば血気盛んだった30代後半、自己主張が強く歯に衣を着せずズバズバ物を言う私は、事ある毎に上司や同僚と衝突し、憂さ晴らしに飲み歩くのでなかなか寝付けず、来る日も来る日も遅刻が…

新古今の周辺(64)寂蓮(11)嵯峨の庵

34才の藤原定長が承安2年(1172)に出家をして寂蓮と称した後の消息について、後鳥羽院に仕えて和歌所の事務長を務めた源家長は『源家長日記』で次のように記している。「世の事わりは昔もおぼしめししりけめども、此比ぞみちみちにつけてはいづれも…

(34)チビッコ鉄ちゃんカフェ

日曜日の午前10時頃だった。ひと休みしたくて東京駅八重洲口に隣接したオフィスビル内のカフェに向かった。いつもはビジネスマンで混んでいてなかなか席が取れないが、休日の今日は大丈夫だろうと思いきや、エスカレーターを上ってカフェのドアの前に立つ…

新古今の周辺(63)寂蓮(10)出家・遁世の時代(2)僧界もまた

寂蓮が出家した時代は、公家(※1)・公卿(2)いえども長子に家督を継がせるだけが精々で、それ以外の男子を高位官職に付かせるだけの権力は既に持ち合わせておらず、それでも家の威光と財力を恃める野心家は延暦寺・醍醐寺・興福寺・仁和寺などの官寺(※…

新古今の周辺(62)寂蓮(9)出家・遁世の時代(1)公卿の凋落

寂蓮の出家の背景については、養父藤原俊成が49歳の時に誕生した定家に歌道を継ぐに相応しい才能を見極めて自ら身を引いたとの理由が一般的であるが、それはそれとして、私は当時が日本史上希に見る「出家・遁世の時代」であったことを挙げたい。寂蓮が保…

新古今の周辺(61)寂蓮(8)出家を巡る贈答歌

藤原定長が出家をして寂蓮と称したのは34才の承安2年(1172)頃とされるが、それに先立つ承安元年2月15日に嵯峨の釈迦堂(清涼寺)を詣でた折に、彼の出家の戒師を務めたとされる静蓮(※1)に出家を約した折りに交わした贈答歌が『寂蓮集』に収めら…

新古今の周辺(60)寂蓮(7)歌人・中務少輔定長(4)『歌仙落書

承安2年(1172)成立したとされる『歌仙落書』は、歌林苑会衆の小侍従・殷富門院大輔・二条院讃岐を含む平安末期を代表する歌人20人の歌集を収めたもので、定長も「中務少輔定長」の名で最後に出詠した4首が収められ、この頃には既に歌人として評価…

新古今の周辺(59)寂蓮(6)歌人・中務少輔定長(3)心情吐露か

『住吉社歌合』は嘉応2年(1170)10月9日に、和歌の神社として尊ばれていた住吉社の社頭で藤原敦頼が催したもので、歌題「社頭月」・「旅宿時雨」・「述懐」の三題を歌林苑の大先輩の殷富門院大輔・小侍従と定長を含む歌人50人が番えて競うもので…

(33)下描きなし・三原色+白で描く(6)茄子

1.茄子とミディトマトを描くつもりの態勢。 2.茄子とミディトマトの色を作る。 3.先ず茄子を描き上げる。 4.気が変わって茄子だけを描くことにしたのでバランスの悪い仕上がりに。とはいえ、下絵を描かないから、これで良いと思った時点で仕上げられ…

(32)下描きなし・三原色+白で描く(5)ベビー白菜

1.ベビー白菜の色を作る。 2.題材のベビー白菜を前に描き始めたところ。 3.描き上げたベビー白菜の絵。 4.下絵に多色水彩絵具で2013年12月に描き上げた白菜の絵。 (※)絵具はHOLBEIN製:黄はカドミウム・イエロー・ディープ、赤はカドミウム…

(31)下描きなし・三原色+白で描く(4)キュウリ

1.キュウリの色作りをする。」2.モチーフのキュウリと描き終えた二枚の絵3.最初に描き上げたキュウリ、色が薄すぎた。 4.モチーフに忠実な色を目指して描き直した2枚目の絵5.下絵に多色絵具の混色で彩色した2014年8月の高山キュウリの作品 …

新古今の周辺(58)寂蓮(5)歌人・中務少輔定長(2)歌合デビュ

在俗時代の定長が詠進した主な歌合は、『平経盛朝臣家歌合』(5首)、『実国卿家歌合』(6首)、『住吉社歌合』(3首)、『公通家十首会』(3首)、『宰相入道観蓮歌合』(1首)、『後徳大寺実定家結題百首』(2首)などがあり、先ずは歌合デビューとも…

彼方の記憶(16)産業構造の転換を予測させる77歳女性の暮らし方

2008年9月のある日、夕食後のお茶を飲みながら、のんびりと友人から払い下げの古いテレビを見ていた時、食品スーパーの特売品ワゴンから肉の薄切りパックを手にした高齢女性が「これ半額にならないの?」と販売員に尋ねている場面に目が釘付けになった…

(30)下描きなし・三原色+白で描く(3)葱

(1)クロッキー帳に葱の色作りと試し描きをする。 (2)根元から上に向かって描き上げた1本の葱 (3)下絵に多色彩絵具の混色で彩色した2013年11月の葱の作品。 (※)絵具はHOLBEIN製の黄はカドミウム・イエロー・ディープ、赤はカドミウム・レッ…

(29)下描きなし・三原色+白で描く(2)人参

(1)クロッキー帳に人参の色作りを試み、人参を試し描きする。 (2)1本の人参を描き上げる。 (3)下絵に多色彩絵具の混色で彩色した2014年1月の作品 (※)絵具はHOLBEIN製:黄はカドミウム・イエロー・ディープ、赤はカドミウム・レッド・ライト…

新古今の周辺(57)寂蓮(4)歌人・中務少輔定長(1)歌仲間

藤原定長が出家して寂蓮と称するのは彼が34才の承安2年(1172)頃とされているが、その頃の花壇で中心的な役割を果たしていたのは『詞華集』(※1)を撰進した藤原顕輔やその息子の清輔・重家・顕昭・李経などの六条藤家(※2)であり、後に日に彼ら…

(28)下描きなし・三原色+白で描く(1)林檎

これまで水彩絵具の混色理論を知る試みを何度か重ねてきた。http://d.hatena.ne.jp/K-sako+kankyo/searchdiary?word=%BA%AE%BF%A7 http://d.hatena.ne.jp/K-sako+kankyo/searchdiary?word=%BF%E5%BA%CC%B2%E8が、実際の場では、最初に下描きをし、その上に数…

新古今の周辺(56)寂蓮(3)煌めく天才相関図

『尊卑分脈』(※1)によれば、定長(寂蓮)は久安年間(1145〜1150)の末頃、藤原俊成の養子になっている。俊成には既に嫡男の成家がいたが、彼に歌道の御子左家(※2)を継がせるのは無理と見切りをつけ、当時12、3才ながら歌才の萌芽を見せ始…

新古今の周辺(55)寂蓮(2)宮仕え

鎌倉初期の歌人で後鳥羽院設置の和歌所の寄人となり、『新古今和歌集』の撰者に選ばれながら撰進すること無く没した寂蓮は保延5年(1139)頃に生まれ、建仁2年(1202)頃に64才で没したとされる。寂蓮の俗名は藤原定長。祖父は権中納言従二位藤…

彼方の記憶(15)リーマンショック前の資産運用セミナー風景

2004年に定年退職した後に幾つかの資産運用セミナーに足を運んだ。通常は当時私が口座を持っていた外資系銀行の主催するセミナーだったが、海外の投資信託会社のアナリストを招いて、投資対象国の経済情勢と、これから投資を始めようとする個々人のリス…