後白河院と寺社勢力(39)寺社と商人(2)初期商人のプロフ


女商人の始まりは漁師のおかみさんが夫の漁師から魚を買って売り歩いた事から始まったとされていると前回に述べた(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/)が、
それでは、最初に商人の世界に足を踏み入れたのはどういう人たちであったのか。


 昭和36年6月刊行の「中世の商業」(佐佐木銀弥 日本歴史新書 真珠社)によれば、古代末期から中世にかけて商人化し得る条件を持っていた階層は、古代律令制下において律令制的負担から比較的拘束されない課戸(※1)の家族、婦人、帳外の民(※2)、貴族・土豪の輩、農耕負担を免れている市人、宮司の下で手工業生産を行っていた織戸・漁夫・杣人などの賎民や工房奴隷的な階層とされている。つまり、主たる律令制的負担者であった成人男子は商人化から最も遠い存在であったという事になる。



 律令制下の商品交換は、主として国庫及び荘園領主の余剰物の処理が目的であったから、平城京あるいは平安京の東西に設けられた官営市場で、大蔵省内蔵寮の管理下で一定数の市人によって行われたが、当時の貸付や交易からの利潤は「悪」という風潮もあって儲けは重視されていなかった。

 しかし、律令国家の崩壊が進む平安末期になると、開発領主層と結びついた平氏・源氏の台頭により院政政権が率いる国家の政治・経済体制は弱体化し、貴族・寺社等の荘園領主はあらゆる手段を用いて所領荘園の拡大に取り組み、さらに自領荘園の生産性を高めて国家に依存しない家産的経済基盤の強化に励むしかなかった。


 その結果個々の荘園の著しい生産性の向上によって、荘園から徴収した年貢・雑公事の余剰生産物を捌くには、従来の東西に設けた官営市場では質・量だけでなく多様さにおいても対応出来なくなり、荘園領主の集中する京・奈良を中心とした都市での商品交換取引所を展開する必要に迫られ、これによって都市商業、つまり中世商業の幕が切って落とされたのである。


 市場が劇的に変化すると、商品交換に携わる商人の数も飛躍的に増加することになるが、極めて多様化されかつ細分化された余剰物を捌くとなると、商人の質においても、豊富な商品知識の他に荘園領主の意向を反映する力量が必要となり、従来の官営市場で限られた商品交換を担っていた市人に代わって、荘園領主と強い結びつきを有する供御人や寺社と固く繋がった神人・寄人が都市商業を担う新たな商人として参入することになる。

 
 以上から推し量って、中世初期の都市商業において活躍した商人達は、貴族・寺社荘園領主層の家産経済と極めて密接な関係を有しつつ、かつ、その保護を得てこそ十分な活躍が出来る者、つまり、荘園領主層に身分的に従属しているか、自ら進んで従属関係を結んだ(1)供御人、(2)神人、(3)寄人、そして中世後期の室町時代から(4)駕與丁が商人としての特権を与えられて活躍することになる。

(1) 供御人:禁裏の主殿寮・大炊寮等の宮司に所属する供御所で菓子・野菜・納豆・魚類などを調達していたが、やがて、その余剰分を宮司の保護下で取引するようになった。

(2) 神人:京都の祇園・岩清水八幡・春日社等に所属するせ賎民や周辺農民からなり、神威
を背景にして手広く営業を行った。 祇園社に属して弓矢や弓弦を製造した犬神人、離宮八幡宮に属した大山崎油神人、春日社に属して木村油座商人を仕切った白神神人が代表的。

(3) 寄人:寺社の荘園領外の農民・手工業者・商人で特に寺社と関係を結び一定の課役を納めて営業上の保護・特権を受けた者。

(4) 駕與丁:左右近衛府と左右兵衛府の4府に属して天皇の駕籠や輿を担ぐことを担ったもので、その関係を利用して種々の特権を与えられて商品取引に独占的な販売権を得た。


(※1)課戸(かこ):律令制で課口が一人以上ある戸。課口は調・庸・雑徭を負担する人民。

(※2)帳外(ちょうがい)の民:帳面、つまり戸籍簿に載っていない者。