2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(71)渡海僧(15)道元 1 典座大切

「仏家に、もとより六知事あり」で始まる道元の『典座教訓』は、禅寺(曹洞宗)運営管理に携る六つの役職の中から、食事・湯茶を管掌する典座(てんぞ)を取り上げ、その心構え、仕事に臨む姿勢といった精神的なものから、米の研ぎ方、仕事の手順、食材の扱…

後白河院と寺社勢力(70)渡海僧(14)栄西8 乱世の流儀6 二

京の公家政権と鎌倉の武家政権と二つの政権が成立した後、鎮西で退避していた栄西が最初に進出したのは鎌倉であった。 その栄西の鎌倉での沙汰が初めて見られるのは『吾妻鏡』正治元年(1199)9月26日の条で、幕府において不動尊供養の導師を勤めたと…

後白河院と寺社勢力(69)渡海僧(13)栄西7 乱世の流儀5 鎮

栄西の2度目の入宋が5年もの歳月を要したのは、平家が滅亡し京と鎌倉に二つの政権が成立したからには、「王法仏法」の一端を担って鎮護国家を祈念をする従来の仏教に代わる新たな仏教を興す必要があり、それには、インド・中国に渡って本来の仏教を摑み直…

後白河院と寺社勢力(68)渡海僧(12)栄西6 乱世の流儀4 袈

半年の滞在を終えて重源と共に仁安3年(1168)9月に宋から帰国した28歳の栄西は、叡山に登って宋から持ち帰った天台の新章疏(しんしょうそ)三十余部8巻を天台座主明雲に手渡したものの、翌年には山を下りて備前に戻り、35歳で筑前今津の誓願寺…