後白河院と寺社勢力(34)「寄沙汰」という自力救済

 後白河院政期の終盤に発布した「建久の公家新制」で、悪僧・神人及び武勇の輩への私領の寄与を禁止し、土地証文の虚実を決し偽書ならば毀破することを命じたこと自体が、弱小開発領主の間で、所有の根拠となる券契・証文を有力者に寄進して、その力で土地訴訟を自分に有利に運ぼうとする動きが広がり、また、これに乗じた悪僧・神人が権力行使の代行者として、実力行使による土地差し押さえなど目に余る行為を展開していた事を物語っている事(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20100522)と、

 延久の荘園整理令に伴なう「記録荘園券契所」の設置により、荘園立証の手続きを太政官で一括審査する仕組みを整えた事(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20100529)は既に述べた。

 
 しかし、荘園所有の認可の仕組を整備しても、実際に書類を調えて申請に至る道筋が各自任せでは、先ず、書類を調える前の土地の所有権を決する段階では武力が物を言うであろうし、次の書類準備の段階では、官僚の仕組みや法知識に乏しいばかりか、読み書きもまともに出来ない辺境の弱小開発領主にとっては、現在のようにその道に通じた弁護士や弁理士が存在していたわけではないから、法知識とノウハウと武力を備えた強力な縁故に縋るのは致し方ないといえる。

 
 つまり、いくら朝廷が条例を連発して悪僧・神人の訴訟介入の取締を強化しようとも、土地係争を自分に有利に導くために権利の代行を彼らに依頼する者は後を絶たなかったのであり、既に治承2年(1178)の新制において、「諸国人民、公田をもって私領と称し、神人悪僧らに寄与する」「「あるいは京中を横行して訴訟を決断し、あるいは諸国に発向して田畠を侵し奪う」と神人・悪僧らの行為が糾弾されている。

 
 ところで、「講座日本歴史3中世1」(東京大学出版会)によると、神人・悪僧らのこのような訴訟介入を「沙汰を請取り、そして沙汰を寄せた者の自力救済(※1)を代行する行為」として「寄沙汰」と称し、そのピークは中世前期で沙汰を受け取る者の多くは山僧(※2)・神人であったとしている。


(※1)自力救済(じりょくきゅうさい):私人が、法律に定める手続きによらず、実力を行使して権利の内容を実現すること。原則として禁止されているが、正規の救済を待てない緊急や止むを得ない場合には、例外的に許されることもある。

(※2)山僧:特に比叡山延暦寺の僧を指す。


参考文献「講座日本歴史3中世1」(東京大学出版会