治承4年(1180)も押し詰った12月28日、「王法仏法」の象徴ともいえる東大寺が平重衡の焼打ちによって灰燼に帰した。 翌治承5年(1181)3月17日、左小弁兼蔵人の藤原行隆が十数人の鋳物師を引連れて焼損の実態を調査し「修造不可」の結論に…
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