2010-11-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(58)渡海僧(2)重源 2 天竺様式建築

大仏修造については宋人鋳物師陳和興(ちんなけい)の革新的な技術を登用してほぼ三年をかけて成し遂げた重源であるが、次の難題は大仏殿修造である。 天平17年(745)年に聖武天皇の勅願により東大寺が創建された頃は、遣唐使がもたらした大陸文化・仏…

後白河院と寺社勢力(57)渡海僧(1)重源 1 宋人鋳物師

治承4年(1180)も押し詰った12月28日、「王法仏法」の象徴ともいえる東大寺が平重衡の焼打ちによって灰燼に帰した。 翌治承5年(1181)3月17日、左小弁兼蔵人の藤原行隆が十数人の鋳物師を引連れて焼損の実態を調査し「修造不可」の結論に…

後白河院と寺社勢力(56)商品流通と政治権力(14)鉄4 兼・兼

ところで「燈炉以下鉄器物供御人」を組織した蔵人所小舎人・惟宗兼宗の真の狙いは、鉄・釜・鋤・鍬など鉄器物の広域流通の支配だけでなく、全国に散在する鋳物師の業態を丸ごと独占支配するところにあったが、神人鋳物師の存在が大きな壁になって立ちはだか…

後白河院と寺社勢力(55)商品流通と政治権力(13)鉄3 廻船鋳

永万元年(1165)に蔵人所小舎人惟宗兼宗によって「燈炉以下鉄器物供御人」に組織された鋳物師たちは、左方供御人、右方供御人、東大寺─大仏方供御人の3つの集団に分かれ、主として畿内を中心に西国よりの日本列島で商売を展開していた。 中でも左方供…