2013-03-01から1ヶ月間の記事一覧
『中右記』の著者藤原宗忠は、天永4年(1113)に検非違使別当を任じられて白河院政下の政権安定と京の治安維持の陣頭指揮に当たったことから、叡山の大衆並びに悪僧の動向に対しては並々ならぬ注意を払っていた。 その宗忠が、長治の山上合戦から(http…
ところで前回述べた悪僧貞尋(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20130308)は、82歳で永久6年(1118)2月15日に入滅したのだが、この時検非違使別当(※1)であった藤原宗忠は、同日付『中右記』(※2)で「くだんの人、年来大衆張本なり。山上(叡山…
白河法皇治世下の延暦寺では平清盛の護持僧と称された天台座主明雲の門流である東塔南谷の円融房や皇族・貴族を特定とした寺の梶井門跡が成立し、康和4年(1103)に入滅した第37世天台座主・仁覚は梶井派の出であった。 ところがその仁覚の跡を継いだ…