2015-01-01から1年間の記事一覧
2004年7月7日(水) 【使い勝手の悪い英文法教科書】今日から英文法の授業が始まった。元々英文法は大の苦手だったところに教科書(下図)の編集が良くないので、関係個所を追っかけるのに頻繁にページを繰らなければならず、それに気をとられてとても…
2004年7月5日(月)【大雨とカフェテリア】アメリカ独立記念日翌日の今日は祝日なのに昼前からザンザン降りの大雨に。寮の窓から外を眺めると道路の凹みから水が溢れ出ている中を、傘から滴る水で背中をぬらしながらスニーカーで足早にカフェテリアに…
鴨長明は、歌人としての評価を藤原公任のように歌そのものだけで判断するだけではない事を、和泉式部や赤染衛門と同時代に後宮文學を彩った紫式部の日記を下記のように引用して明らかにしている。70 式部・赤染勝劣のこと(3)「和泉式部の人柄はとても感…
2004年7月4日(日) 【時間を生む工夫 その1】サマースクールの授業は、教室に臨む前に既に10〜20ページの講義資料に目を通して内容を把握している事を前提にして、授業ではクラスメートを前に自分の考えを述べたりクラスメートの意見に質問する…
ところで「俊頼髄脳」を引用して、和泉式部と赤染衛門のどちらが歌詠みの上手であるかを長明に語ったある人は、先に述べた藤原公任の視点(※)に対して二つの疑念を次のように呈している。(※)http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20151025 70 式部・赤染勝劣の…
2004年7月2日(金)【初めて先生に褒められて】今日のIntegrated Skillsの授業は、直前に催された2004年のハーバード卒業式典におけるアナン国連事務総長の、やがて創設60年を迎える国連が直面している危機と世界のリーダーとなるべきハーバード…
冷泉天皇の皇子で兄の為尊親王と弟の敦道親王の双方から愛され、情熱的な女房歌人として今なお多くのファンを持つ和泉式部(※1)だが、歌人としての評価は一筋縄ではゆかなかったことを源俊頼の歌学書『俊頼髄脳』(※2)を引用しながら鴨長明は『無名抄』…
2004年7月1日(水)今日の初めて出席した授業でわかったIEL(Institute for English Language Programs)level Bの授業構成と内容は次のようなものだった。【Integrated Skills Class】(月〜金)9時〜11時の「Integrated Skills Class」の私のクラ…
2004年6月30日(水)【オリエンテーションで先制パンチを】今朝出席する予定のオリエンテーションに関して学校当局からメールが届いた。その骨子は次のようになる。(1) 私はIEL(Institute for English Language Programs)のlevel Bに属し、 (2…
大輔と小侍従の後鳥羽院歌壇での評価の高さを知るうえで『新古今和歌集』に大輔は10首、小侍従は7首入集していると共に、二人がそれぞれ「殷富門院大輔集」、「小侍従集」と自分の歌を集めた家集を著していることが挙げられる。以下に二人の『新古今和歌…
2004年 6月28日(月)【レベル分けテスト】昨日のEnglish Language Programのレベルテストの結果はEDCBAの五段階の下から二番目のBだった。こんなものかと思う反面、もう少しインストラクターの注意事項をよく聞いて時間配分をしていれば、Cくらいに…
鴨長明の時代の「女房」とは禁中や院中でひとり住みの房(部屋)を与えられた高位の女官を指し、現在のキャリアウーマンを意味した。彼女たちは内裏や院御所に出仕して天皇・中宮・上皇・女院のそば近くに仕え、時に高位高官たちと丁々発止のやり取りを交わ…
私は2004年5月31日に40年近く勤務した会社を定年退職して直後の6月26日から開講のHarvard Summer School のEnglish Language Programを受講した。定年退職後は気分転換にボストンで2カ月ほど暮らしたいと思っていたのだが、シティホテルに宿泊…
神に自分の命と何かを取り替えた人間の話は幾つか伝わっているが、優れた歌を詠ませてくれるなら自分の5年分の命と取り替えてもよいと神に祈った男の話を鴨長明は『無名抄』で次のように記している。80 頼実が数奇のこと左衛門尉蔵人源頼実(※1)は大層…
1) アトリエから:絵で見る暮らしの断片(3) 今回の「絵で見る暮らしの断片」はファッション・アイテムを取り上げた。(1) クロップド・カーゴ・パンツ 最近外出時にデイパックを背負う事が多くなった。歩く時に背筋がピンと伸び、両手が空いて甚だ快…
歌の心得のない者でも時に秀歌を詠むことがある例を鴨長明は『無名抄』で次のように述べている。52 思ひ余る頃、自然に歌詠まるること深く思い詰める状況に追い込まれた時など、自ずと歌が詠まれることもある。金葉集(※1)のよみ人知らずの中に、身の憂…
1) アトリエから:絵で見る暮らしの断片(2) (1) 真夏のガラス暑くなると水出し茶の出番、私は沸騰したお湯を使うが、1パックで上図の二つのガラス容器に満たす。(2)片口の卵立毎朝茹で卵を食べることにしたのだが、卵の殻をきれいに剥くのは案外…
長明は、歌人でなくても物事の道理を解する者であれば12歳の少女でも鋭い批判が出来る例を『無名抄』で次のように述べている。51 非歌仙、歌の難したること歌は世に知られた歌詠みでなくても道理や理屈の面からも広い範囲で親しまれている文芸であるから…
1) アトリエから:元はパン屋?さん 都心でも大きな通りを1本入ると懐かしい光景に出合う。この建物もそんなひとつ。白地の看板にバランスの悪い配置で「パン」と朱書きしている。元はパン屋さんだったのか、それともパンも売っているお店だったのか判然…
11 瀬見の小川のこと(後半)その後、長明が賀茂社奉納歌合で「瀬見の小川」を詠んだことを知った禰宜の鴨祐兼(※1)から「『石川や・瀬見の小川』のような由緒のある歌は晴れやかな歌合か、国王や大臣などの御前で詠進すべきもので、大して意義のない歌…
1) アトリエから:絵で見る暮らしの断片(1) ホームカフェ 何をトチ狂ったか、珈琲粉を買ったつもりで袋を開けると中から豆が現れた。その200グラムの豆を無駄にしたくなくて買ったのが左のコーヒーミル。セラミックの刃、スタイリッシュなデザイン、手…
鴨長明の『無名抄』には歌合で長明が詠んだ「瀬見の小川」についての判定のドタバタとその余波が描かれているので、まず歌の判定を巡るドラマから紹介したい。11 瀬見の小川のこと(前半)源光行(※1)が主催した賀茂社(※2)奉納の歌合に参加して「月」…
1) アトリエから:水彩絵具の実際 (1)重ね塗り(重色)による2色混合透明水彩絵具はパレット上で絵の具を混ぜる「混色」と「重ね塗り(重色)」の濃淡で表現します。そこで次の基本の6色を使って「重ね塗り」による2色混合を実際に試す事にした。先…
登蓮法師が日頃関心を抱いていた「ますほのすすき」に対する疑問を明らかにするために、雨の中を摂津の渡辺に住む聖を尋ねた(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20150601)後日談を鴨長明は『無名抄』で次のように記している。「無名抄 16 ますほのすすき」後…
1) アトリエから:透明水彩絵具のイロハ 水彩画を描くと決めて何も考えずに「透明水彩絵具18色セット」を買った。で、野菜・果物・花を描いてゆくと18色の中で使える色がなく、モチーフに近い色の絵具を次々に買い足したので絵具の数だけはやたらに増…
鴨長明と兼好法師が『無名抄』と『徒然草』で、登蓮法師(※1)の振舞をそれぞれの視点でとらえて述べているのがなかなか興味深い。(1)「無名抄 16 ますほのすすき」から、「雨の降る日に、ある人のところに気心の知れたもの同士が集まって、古い事など…
1) アトリエから:陽光降り注ぐ本郷裏町 本郷の坂道を上る途中で遭遇した光景。石段も屋根瓦もコンクリートもエアコンもそして何故か雨戸も燦々と降り注ぐ陽をうけて「様々な白色」に変化していた。2)ホーチミンシティ回想(完) よく働き、よく買う人々…
『神護寺略記』によると、京都神護寺が所蔵し国宝に指定されている三幅の似絵(肖像画)「伝源頼朝像、伝平重盛像、伝藤原光能像」の作者は「藤原隆信―筆也」と記され、その中でも「伝源頼朝像」は世界に現存する肖像画の中でも1、2を競う名作とされている…
1) アトリエから:透明水彩画と私の相性 ここにきて彩色手法を含めた透明水彩画が私に合っていないのではという疑問が生じ、そこにGW気分が重なって絵の方は停滞気味です。(1) 水彩絵の具+ αで、今は、下図のようにクレヨン、鉛筆パステル、ソフトパ…
若い時は歌の名手ともてはやされながら、年を経て後鳥羽院歌壇の面々からボロボロに批判されて「歌の盛りに死んでいれば名を残せたものを、徒に長生きしたためにむざむざ名を落してしまった」と嘆いた藤原隆信(※1)を鴨長明は『無名抄』で次のように描写し…