2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

彼方の記憶(9)「私81歳で現役なの」と、のたまう女性

2008年6月の歌舞伎座での出来事だった。 夜の部の最初の演目が終わり、私は三階ロビーのソファに向かってダッシュした。幸い三人掛けの右端を確保できたので自宅から持参した弁当を広げた。左端では私より少し年長の女性が幕の内弁当を開いていたが、間…

彼方の記憶(8)ファーストクラス搭乗の夫人と同じパックツアーで

1995年に勤務先の2週間連続休暇制度を利用して参加した「東欧・中欧11日間パックツアー」に、ファーストクラスに搭乗する上流夫人が一人加わったので、これまで参加したパックツアーと大きく勝手が違った。その夫人によると、何でもご主人と一緒に参…

彼方の記憶(7)日本女子大出の銀座クラブのママ

バブルよりもずっと前、田中角栄の「日本列島改造論」が爆発的に売れ、その直後に彼が首相になった1972年頃は、日本経済が高度経済成長軌道をまっしぐらに進み、企業は何を作っても売れて儲かるという、日本全体が活気のある時代であった。そして企業交…

新古今の周辺(52)源頼政(7)加階・内昇殿も喜び半ば

源頼政は自らの出世・昇進についての心情を極めて率直に歌に詠む人らしく『頼政集』から幾つか採りあげてみたい。先ずは、仁安3年(1168)10月に正五位下に加階昇進したときの喜びから、正下の加階して侍りし時 右馬権頭隆信(※1)がもとよりよろこ…

(27)矯めつ眇めつ『勝鬨橋』 

私にとっての橋といえば「勝鬨橋」のことであって、レインボーブリッジでも横浜のベイブリッジでもない。勝鬨橋には「橋から眺めて良し」「橋の姿・形が良し」「そぞろ歩きするも良し」の三拍子が揃っている。以下は「晴れた日は勝鬨橋へ」をモットーに足繁…

彼方の記憶(6)『ルービン回顧録』

2005年11月頃に「ルービン回顧録」を読んだのだが、著者のロバート・ルービン氏は、ウオールストリートのトップ企業ゴールドマン・サックスの共同会長から、クリントン政権発足に伴い新設された国家経済会議の委員長に就任し、その後1995年〜19…

新古今の周辺(51)源頼政(6)内昇殿への焦がれ

源頼政は長治元年(1104)源仲政を父として誕生したが、世は白河院政が開始されて19年目に当たっていた。頼政の生没年は父・仲政と同様に未詳であるが、これは当時の武士階級には、藤原宗忠の『中右記』、九条兼実の『玉葉』、吉田経房の『吉記』、藤…