後白河院と寺社勢力(42)寺社と商人(5)『座』と寺社

 

1.寺社を本所とする座

 中世全期に亘って商業活動の前線で活躍した「座商人」は、宮中御厨子所に属して食物(魚介・果物・獣肉・野菜その他)や炭、薪などを献納する供御人が、朝廷の庇護を背景に組織して始まったが、鎌倉・南北朝時代を経るにつれて、大寺社の権威を背景に商業的な優位性を目論む神人が組織する寺社を本所とする座が増加し、さらに室町時代になると、京・奈良の他に、近江。摂津、大和国延暦寺天王寺興福寺の大乗院と一乗院、春日社などを本所とする座が拡大してゆく。以下に寺社に属する代表的な『座』を製品別に例示したい。


材木座
 京の堀河で祇園社に属する神人が京の材木の販売を一手に握るために組織し「堀河材木座神人」と呼ばれた。

○ 油座

大山崎油座
 神官が搾油器を発明して荏胡麻油を製造した事から「油の神様」と讃えられた離宮八幡宮大山崎神人が荏胡麻油の販売権を独占するために組織し、永和2年(1376)の下京には大山崎油神人が64人もいたとされる。


・九州筥崎八幡宮油座


・醍醐油座
 京の醍醐寺に属し鳥羽天皇治世の久安年間(1145〜)には存在が確認されている。


・符坂油座
 春日社に属する符坂神人が組織し大和の油を独占販売していた。

○ 貝座
  鎌倉時代以降に興福寺一乗院に属する貝座があったとされる。淀や和泉の魚貝商人が店を張っていたのであろうか。

○ 刀座
  日本最大の武器市場があった四条町では延暦寺に属する武器商人が活躍していたとされるが、その中にあった刀座も延暦寺に属していたのではないか。また、祇園社に属する犬神人が弓矢や弓弦を製造している。

○ 綿座
  三条町・錦小路町・四条町・七条町では祇園社に属する綿座商人が活躍した。

○ その他
  興福寺に属する鋤商人がいたとされるが、全国に膨大な荘園を所有する大寺社が農機具製造ならびに販売業者を「座」に組織していたことは当然考えられるので、鋤座、鍬座、鎌座などが存在した可能性は大。


2.『麹』特権を巡る壮絶な争い

 酒造りは神・仏前への供え物として、あるいは正月の自家消費のために神仏習合の寺院から始まったが、有望な収入源として次第に商業化して大規模になり、中世では真言宗天野金剛寺が作る「天野」が名酒として広く知られていたそうだが、他にも河内の歓心寺、奈良の興福寺、近江の百済寺なども盛んに酒造りに取組み、室町時代の京都では、「西の京麹師」と呼ばれる北野神社の神人たちが麹の製造・販売権を独占し、かつ税金を免除されるという特権を得るまでになっていた。

 しかし、麹は温度を一定に保つ室さえあれば誰でも造ることができる。酒屋たちは自ら麹の密造を手掛けるようになり、それを憤った北野社神人たちが幕府に訴えたので、幕府は麹造り禁止令を度々発しただけでなく、酒屋の麹室(こうじむろ)破却を命じて露骨な神人優遇策をを強行した。

 ところが、神人優遇策に不満を抱いた京中の酒屋が団結して北野神社を襲撃して土一揆に発展し、これを受けた神人が徹底抗戦の構えで神社に立て篭もった為に、幕府側は鎮圧に乗り出さざるを得なくなり、北野神社炎上、40人の死者という大きな犠牲を払った「文安の麹騒動」(文安元年─1444)を経て、神人の特権を保障した京の「麹座」は崩壊した。


 この麹騒動から窺える事は、幕府も優遇策をとらざるを得ない当時の寺社勢力の強さと、それさえも乗越えて立ち上がり幕府を動かした商人を初めとする民衆の逞しさであり、さらには現代にも通じる一度手にした既得権は絶対手放さないという凄まじいしい執念です。

中世とは武者だけが台頭した時代ではなかったのです。

参考文献は以下のとおり

○ 「中世の光景」(朝日新聞学芸部編 朝日選書)

  


○ 「寺社勢力の中世」(伊藤正敏著 ちくま新書