2009-09-01から1ヶ月間の記事一覧
京都の夏の風物として欠かせない豪壮華麗な「祇園祭」は、京に流行った疫病の大流行をきっかけに、災厄の除去を祈る御霊信仰として、祇園の神を祭り神輿を掲げて御旅所を巡る祭礼の「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」として始まった。 下に掲げた絵は後白河…
【わが身五十余年を過ごし、夢のごとし幻のごとし。既に半ばは過ぎにたり。今やよろづをなげ棄てて、往生極楽を望まむと思う。たとひまた、今様をうたふとも、などか蓮台の迎へに与(あず)からざらむ】 (『梁塵秘抄口伝巻十』(宮内庁書陵部本)尾崎左永子…
今や100歳以上の人口が4万人に達し、いよいよ長寿社会になりつつあるわが国において、誰もが望むことは、寝たきりで長い老後を過ごすより、床についても1週間、それが叶わなければせめて半年くらいで、眠るようにあの世にいけたらということではないか…
「法然上人絵伝」は、後白河院が文治4年(1188)8月14日に白河押小路殿(当時の院御所)で修した、『如法経(にょほうきょう)供養』で、延暦寺・園城寺・東大寺・興福寺などの高僧を差しおいて、法然上人が先達を務めた様子を色彩豊かに描いている…
後白河院の皇女式子内親王は法然上人を戒師として出家し「承如法」と呼ばれたことは既に述べたが、それではこの二人はどのような経緯で知り合ったのかがはっきりせず、石丸晶子著「式子内親王伝〜面影びとは法然」でも、信仰心の深い八条院が法然を招請した…