2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と遊女(あそびめ)(1)絵で見る遊女

「歌は、風俗。中にも、杉立てる門(かど)。神楽歌(かぐらうた)もをかし。今様歌(いまよううた)は長うてくせづいたり」と清少納言の「枕草子(280段)」や、 「琴笛の音などにはたどたどしき若人たちの、とねあらそひ、今様歌どもも、所につけてはを…

後白河院と待賢門院〜なぜ、和歌ではなく今様か(2)親王のライフ

「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思う」は落語の崇徳院でお馴染だが、後白河院の兄の崇徳上皇は歌人としても優れていた。また、息子の高倉天皇も仕えた歌人の藤原定家の手ほどきもあってか、幾つかの歌を残しているが、後白河院が和歌…

神保町漂游

「後白河院」についてあれこれ書きまくるという、年来の課題にやっと踏み出したばかりだが、頭の中が煮詰まってきた事もあって、昨日、久しぶりに神保町に足を向けた。 消費者の引篭りで物がさっぱり売れないと小売業者を嘆かせる不況のこのご時世、さぞかし…

後白河院と待賢門院〜なぜ、和歌ではなく今様か(1)待賢門院の場

「椒庭秘抄〜待賢門院鋤`子の生涯」で著者の角田文衛氏は、女院庁の別当(長官)や近臣、そして歌集に数々の作品が取り上げられ程の才能を持ち西行とも歌を交わしした堀河や兵衛を始めとする女房など、女院御所には錚々たる歌人が揃っていたにも拘らず、彼女…

後白河院と待賢門院〜今様上手「神崎のかね」を貸し借りする母と子(

当初、雅仁親王(後白河院)は母の御所に出入りする貴族や遊女達から見よう見まねで今様を習っていたが、腹違いの近衛天皇の即位を機に一段と今様に打ち込むようになったと言われている。そんな中で、母・待賢門院に、今様上手の神崎の遊女(※1)かねが仕え…

後白河院と待賢門院〜今様上手「神崎のかね」を貸し借りする母と子(

後世に「権謀策術に長けた日本のマキャベリ」と悪し様に言われる後白河院であるが、女たちとの交流においては、全く別の素顔が浮かび上がってくる。そこで、後白河院と幾人かの女達とのつきあいを取り上げてみたい。先ずは生母であり、院の今様狂いの土台を…

芭蕉が後期高齢者活躍の手本なら後白河法皇は一体!!

後白河法皇に深い関心を抱き始めて院政期に関する書籍をあれこれ読み漁っているが、びっくりするくらい長生きした人たちがあちこちに記録されている。代表的なところでは、歌人の藤原俊成・定家親子であろう。堀田善衛著「定家明月記私抄」によると、藤原定…