2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(112)遁世僧(33)法然(5)保元の乱と清

叡山西塔黒谷の慈眼房叡空の庵の法然は、5048巻もの経巻を含む膨大な『一切経』を何度も何度も繰り返して目を通すだでなく、他宗の教義にもことごとく目を通して幅広く仏法教義を深め、師の叡空との問答では鋭さで師をたじたじとさせることも度々であっ…

外国と私(2)1978 サンフランシスコ 苦みが走ったエビ

シーフード大好きの友人と私にとってサンフランシスコ湾に面したフィッシャーマンズ・ワーフは何はさておいても足を運びたい場所であった。何しろ目の前の海から採れ採れの魚介がストレートにレストランのキッチンに運ばれて客に供されるのだから新鮮さにお…

後白河院と寺社勢力(111)遁世僧(32)法然(4)三学非器の法

15歳で叡山一の碩学・皇円の弟子として戒壇院で大乗戒を授けられ、周囲もうらやむ環境で出家した勢至丸(法然の少年時の名)だが、「早く俗を逃れて出家し自らの解脱を求めよ」との父の遺志を守りたい彼とっては望ましいものではなく、16歳になって「名…

外国と私(1)1977年サンフランシスコ 空港のトイレ

私が始めて海外旅行をしたのは1977年(昭和52)で33歳の時であった。その動機は当時友人と通っていた飯田橋の英会話学校の成果を試す為であったと思うが、ビートルズ全曲を英語でマスターしたい団塊世代の友人と異なり、連れ習いの私には英語修得に…

後白河院と寺社勢力(110)遁世僧(31)法然(3)力量が師を選

美作の国に菩提寺という山寺があり、元は延暦寺の学徒であったが大業達成の見込みが薄い事を悟って南都で法相学を修めた観覚得業(かんかくとくごう)が院主を勤めていた。観覚得業が勢至丸(法然の少年時の字)の母の弟でもあったことから、「早く俗を逃れ…