2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院の娘(2)式子内親王(8)恋ひ恋ひて面影びとは法然か

前述の法然の返書について編訳者の石丸晶子氏は著書「式子内親王伝〜面影びとは法然」で次のように述べている。 式子内親王が法然の専従念仏に帰依して久しい年月が経ち、二人はときに往来して語り合う間柄であったが、なんらかの事情で心ならずも疎遠になり…

後白河院の娘(2)式子内親王(7)法然の返書

法然の「正如房」宛の返書が「承如法」の戒名を持つ式子内親王に対して書かれたものと判明した経緯を前回述べたが、一体どのような文面であったかを知る為に、先述の『法然上人絵伝』の詞書釈文と比較して情緒纏綿の趣が強すぎるきらいがあるが、ここに、石…

後白河院の娘(2)式子内親王(6)式子の出家と法然

石丸晶子著「式子内親王伝〜面影びとは法然」によると、 浄土宗の開祖法然は北条政子、九条兼実の正室、熊谷直実への返書など幾つかの消息文を残しているが、その中の言葉使いから見て高貴な女性に対するものであろうと推測される「正如房」宛の返書が一体誰…

後白河院の娘(2)式子内親王(5)恋ひ恋ひて〜面影人は定家か

・ かきやりてその黒髪のすぢごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ 何ともぞくぞくするほど官能的な歌ではないか。藤原定家は恋歌の名手である。これほど洗練された感性の持ち主が今なお広く膾炙される式子内親王の忍ぶ恋の相手であっても少しもおかしくはない。 …

後白河院の娘(2)式子内親王(4)忍ぶ恋・内親王の結婚比率

詩人萩原朔太郎は和泉式部と式子内親王の二人を挙げ「恋愛詩人としての純粋性に於いて、他に比類なく酷似した一対の女性であったが、両者の社会的環境は大いに異なっていた」と述べ、斎院として自由の無い生活をおくった式子について「生涯童貞不犯の生活を…