2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧
16歳の建礼門院(平徳子)が12歳の高倉天皇へ女御として入内したのは、天皇の外祖父の地位を狙う清盛の意を受けた清盛の妻・時子と時子の義妹・建春門院(平滋子)との画策によるものであった。 本来であれば女御として入内できるのは摂関家や大臣の姫君…
「平家物語」は平家滅亡後出家して大原に詫び住いする建礼門院を後白河院がお忍びで訪れる『灌頂巻』で物語を終える。その「大原御幸」で建礼門院が母・二位尼の後を追って入水しようとしたありさまを、「二位尼が『女人をば昔より殺すことなし。構えて残り…
私が「百二十句本」(平仮名本)を定本とした「平家物語」(新潮古典集成)を購入して読んだのは40歳になったばかりの頃であった。その巻第十一・第百五句「早鞆」では幼帝・安徳を抱き抱えて壇ノ浦の海に飛び込んだ母・二位の尼を追って建礼門院が入水す…
思えば治承元年(1177)6月の未遂に終わった鹿ケ谷の謀略から、治承3年11月に清盛が数千騎を率いて入洛し後白河院を鳥羽に幽閉して院政を停止した治承のクーデターに至る動乱は、偏に高倉天皇の中宮で清盛の次女の徳子が皇子を出産するか否かを巡る…
前出「後白河院〜動乱期の天皇」において、古代学研究所の西井芳子氏は、後白河院最愛の女性・建春門院の乳母として女院の傍近く仕えた若狭局は、平清盛の祖父・正盛の娘で名前は平政子であり、女院亡き後は遺児・高倉天皇の女房として仕え、九条兼実に高倉…