2009-10-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(4)後白河院→ 延暦寺 ←清盛 & 鹿ケ谷事

嘉応元年(1169)9月12日、尾張守藤原成親の目代(注1)政友と延暦寺領の比良野の神人との争いが美濃で起こり、神人は延暦寺を介して責任者である藤原成親の配流を訴えでた。 ところが藤原成親といえば後白河院のご寵愛深い美形の近臣、後白河院は詳…

後白河院と寺社勢力(3)祇園社(下)叡山(延暦寺)の支配下に

感神院祇園社は10世紀半ばまでは興福寺末寺であった。それを叡山(延暦寺)中興の祖といわれる天台座主良源が、時の権力者で右大臣の藤原師輔の信任を背に、度重なる大火で焼失した堂塔を再建するとともに荘園など寺領を拡大して、祇園社感神院その他を延…

後白河院と寺社勢力(2)祇園社(中)「台記」にみる祇園社と延暦寺

類稀な秀才と謳われ30歳で左大臣に昇進しながら、保元の乱で37歳の短い生涯を終えた悪左府・藤原頼長は、久安3年(1147)の祇園臨時祭での平氏の郎党と祇園社(感神院)所司の小競合いが鳥羽上皇をも悩ます事態に発展した興味深い顛末を日記「台記…