2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(90)遁世僧(11)大勧進重源(8)利他の土

重源は大寺院に属する高僧ではなく質素な袈裟衣を纏って念珠(※)する「念仏聖」であり、仏教界では常にアウトサイダーであった。 (重源上人坐像 東大寺俊乗堂 国宝 『別冊太陽 東大寺』より ) 保安2年(1121)下級貴族紀季重(きのすえしげ)の子と…

後白河院と寺社勢力(89)遁世僧(10)大勧進重源(7)同行衆

大仏鋳造に本格的に着手した寿永元年(1182)2月、重源は「大仏の首を鋳る資材と費用は大略【知識物】による」と自らが先頭に立つ勧進活動によって大仏鋳造を賄う資材と資金をほぼ調達できる見通しを述べている。 しかるに、寿永2年(1183)4月に…

後白河院と寺社勢力(88)遁世僧(9)大勧進重源(6)法皇の大仏

元暦2年(1185)3月24日、数え年8歳の安徳天皇と三種の神器を擁した平氏は壇の浦の海に沈み、7月9日正午には大地震が畿内を襲った。 鴨長明は「そのさまは、よのつねならず。山は崩れて河を埋め、海は傾いて陸地を浸す。土は裂けて水が湧き出、巌…

後白河院と寺社勢力(87)遁世僧(8)大勧進重源(5)日・宋鋳物

東大寺大仏の本格的な修造は寿永2年(1183)2月11日の右手鋳造から始まり、4月19日から頭部鋳造、5月19日から面部鋳造、翌寿永3年(1184)正月から左手鋳造、6月の竣工へと進行するのだが、東大寺焼討から三ヵ月後の 養和元年(1181…