2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(10)国守(3)源氏物語に見る貴族の凋落

朧月夜尚侍と通じた為に弘徽殿大后によって都を追われ地方でわび住いを余儀なくされた光源氏の無聊を慰め、何くれとなく経済的な支援をする明石の入道。 播磨守を最後に出家して明石の地に風雅な邸宅を構えて、管弦を愉しみ、念仏三昧に暮らす「前国守」は端…

後白河院と寺社勢力(9)国守(2)清少納言と紫式部の父の場合

それでは下級貴族の希望の星「国守」とは一体どのようなポストであったか。 国守は中央の高級貴族から見れば地位は確かに低くいが、県知事・県警本部長・県税務署長・地方裁判所長の機能を一手に集中し、任国においては一国一城の主といってもよい強力な権限…

後白河院と寺社勢力(8)国守(1)下級官僚は国守を目指す

日本は大宝元年(701)に唐・新羅に倣って律令制を導入したのだが、それは、正一位上から少初位下に至る30階級からなり、その位は、宮廷において天皇に一番近い場所に座る人を一位と定めたものであるが、更にその下にも無位の階層が続き当時8300人…

後白河院と寺社勢力(7)平家物語が語る「叡山僧の関白師通呪詛」場

平安期から中世にかけて、公家と武士に対して互角に対峙した寺社勢力台頭の要因のひとつに、自らの利益を最大限に引き出すために、時には武力を用いて、当時の人々の心に深く根ざした御霊信仰を仕切る立場を最大限に活用した事が挙げられると私は観るのだが…

後白河院と寺社勢力(6)神輿の呪い?関白師通の悶死

大津・坂本に広大な社域を有する日吉大社は山王権現とも呼ばれ、平安時代からは比叡山延暦寺(山門)の鎮護神とされていた。 鎌倉時代に山王権現の霊験譚を記したとされる「山王霊験記」には、叡山の山僧や日吉社の神人が日吉山王社の神輿に呪詛した祟りによ…

後白河院と寺社勢力(5)保元新制が狙い撃ちする悪僧・神人

保元の乱の戦後処理によって反後白河勢力を一掃し、摂関家の弱体化に成功した法体の少納言藤原信西が、政治は二の次で乙前の指導でせっせと今様に励む後白河天皇の名前で推し進めたのが、「保元新制」による寺社の悪僧・神人対策であった。 保元2年(115…