2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(33)経済を支える悪僧・神人(3)訴訟介入2

後白河院その人と彼の生きた時代を掘り下げてゆくうちに、「院政期とは、土地私有制度確立へと向かう中世のとば口として激しく揺れ動いた時代であり」「土地所有を巡る訴訟の時代でもあった」との認識を強く抱くようになった。 律令時代の土地は国家に所属し…

後白河院と寺社勢力(32)経済を支える悪僧・神人(2)訴訟介入1

下図は東寺の供僧が肥後国飽田(あきた)郡鹿子木(かのこぎ)庄の支配権を巡る争いに介入して、自分が開発領主権の継承者であることを証明する根拠として訴状に添えられた鎌倉時代末期の永仁年間(1293〜98)に書かれたとされる権利主張の文書である…

後白河院と寺社勢力(31)寺社経済を支える悪僧・神人(1)高利貸

保延2年(1136)、鳥羽上皇は比叡山延暦寺境内にある日吉社(ひえしゃ)の大津神人から、「近年上下の諸人が神物を借り請けながら全く弁済をしない。借りる時には丁寧な契約状を交わしておきながら、いざ返済を催促すると、『院宣がないと返済しない』…

後白河院と寺社勢力(30)「獅子身中の虫」と糾弾される悪僧・神人

永久元年(1113)の春、朝廷は興福寺の末寺清水寺の別当に仏師の法印円勢を任命した。これは、名工と謳われた仏師定朝が清水寺の別当に任命された先例にならい、かつ円勢が定朝の孫弟子であることが考慮されたのだが、この人事に対して、清水寺の本寺で…

後白河院と寺社勢力(29)「邪濫の僧」から「悪僧・神人」へ

延喜14年(914)に三好清行が憂えた「邪濫の僧」は、(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/)、 院政期にはいると、末社関係にある神社の神人と結託して(例:延暦寺の僧は日吉社の神人と、興福寺の僧は春日社の神人と)、神輿を奉じて数千人規模で嗷訴を繰り…