2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

五番街からの強烈なご挨拶

1986年の5月初旬、友人と私は前日ケベック州で買ったばかりの手触りが柔らかくて艶のある革ジャンを着こんで颯爽とニューヨーク五番街にデビューした。 さすがに世界中から富と人材が集中するだけあって、華やかな通りでは肌の異なる多様な人々が背筋を…

後白河院と寺社勢力(109)遁世僧(30)法然(2)父と子の無常

法然上人に深く帰依した後伏見上皇(1288〜1336)の勅命を受けた比叡山功徳院の舜昌(しゅんじょう)が徳治2年(1306)に着手して10年余りの歳月をかけて作り上げた『法然上人絵伝』によれば、字を勢至と号した若き法然が、師である比叡山功…

アメリカ大使館門前 1981 & 2004

(1) 1981年4月 その当時私が定期購読していた音楽雑誌「FMファン」は、世界のジャズ好きを招きよせて毎年4月末から5月初旬にかけて繰広げるニューオリンズのジャズフェスティバルをカラフルな写真つきで特集していた。その中でも長期間に亘って…

後白河院と寺社勢力(108)遁世僧(29)法然(1)遺骸の改葬

安元元年(1175)に法然が専修念仏立宗を宣言して以来、事あるごとに「専修念仏停止(ちょうじ)」を朝廷に強訴していた山門(延暦寺)の大衆は、建暦2年(1212)の法然の死後も攻撃の手を緩めることなく、嘉禄3年(1227)6月には法然の遺骸…

2000年6月7日付USA TODAYとスターバックス

2000年6月初旬、私は友人Mさんのハーバード大学ケネディスクール卒業ランチョンセレモニーの招待を受け、メーカー勤務の友人Kさんと休暇をやりくりして5泊の短いボストン滞在を楽しんでいた。 ハーバード大学の卒業式は、午前に全校式典があり、お昼前に…

後白河院と寺社勢力(107)遁世僧(28)南都(3)諸宗交流と再

さて、「世業」を厭った円照(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20120218)の遁世後の活動はどのようなものであったか。 彼の弟子で後に東大寺戒壇院長老となった凝然が著した『円照上人行状』では、14年に亘る東大寺大勧進の活動や、正嘉元年(1257)の…

「金利生活者」と国語辞典

で、前回取上げた年7分2厘5毛の公社債投信コースの金利である。 たしかに「年7分2厘5毛」の金利なら元金が一億円位あれば働かなくても「金利生活者」としてそこそこ結構な暮らしが出来るし、永井荷風、太宰治、芥川竜之介など昭和のある時期までの日本…