2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院の娘(2)式子内親王(3)父の即位が惹き起こす一家の瓦解

私は予てから、「源平の争乱期を挟んで30数年に亘って最高権力者でありつづけた男の娘というものは、一体どのような人生を歩むものなのか」について深い興味を抱いていた。そこで、この機会に、後白河院と彼の第三皇女・式子内親王の人生を跡付けてみるこ…

後白河院の娘(2)式子内親王(2)生年に関する覚書

前回に式子内親王の生年に関して諸説紛々ではっきりしないと書いたが、その直後に「国文学 解釈と鑑賞」(至文堂)1999年5月号を取り出して目を通すうちに、確証とも思える内親王の生年に関する記述に遭遇したので、比較の意味で他の説と併せて述べてみ…

後白河院の娘(2)式子内親王(1)生まれた時の父は今様好きの第4

鎌倉初期の代表的歌人式子(のりこ)内親王は雅仁親王(後白河院)と藤原成子(しげこ、後の高倉三位)の第三皇女として生まれたが、その時の父は今様好きの鳥羽天皇の第4皇子に過ぎなかった。 雅仁親王の初代の后が第1皇子(二条天皇)を出産後無くなった…

後白河院の娘(1)殷富門院亮子内親王〜動乱期の文芸興隆のパトロン

後白河院の第一皇女亮子(りょうし)内親王は以仁王や式子内親王の同母の姉に当り、卜定された伊勢斎宮を同母の好子内親王に交替した後は、安徳天皇の准母及び後鳥羽天皇の国母として皇后に叙せられ、皇后を辞した文治3年(1187)に女院号を賜り殷富門…