2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧
後白河院の時代には、鉄製品が高貴な身分だけでなく、一般庶民の暮らしにも農具や炊事用具として深く浸透していた事を全快述べたが、(http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20101022) 生業として鉄製品を扱っていたのは鋳物師(いもじ)と呼ばれ、彼らの多くは鉄…
後白河院時代の暮らしに鉄製品がどの程度浸透していたのであろうか。先ず、高貴な方たちの鉄製品との関わりを、後白河院の命によって描かれたとされる『年中行事絵巻』の「真言院御修法(みしほ)」と「大饗」の場面から見てみたい。 「真言院御修法」は正月…
延暦13年(794)の平安京造営時に資材の運搬に用いられるほど川幅が広かった堀川は、淀津や丹波から伐採された材木が五条に荷揚げされて五条堀河に材木市が建つようになると、祇園社神人からなる堀川材木商人が京の建築資材を独占するまでになるが、京…
『紫式部日記絵巻』の「産養」の場面は、藤原道長の娘・中宮彰子の皇子(後の後一条天皇)出産を寿ぎ、土御門殿(道長の屋敷)で煌々とした松明を(たいまつ)をともして夜通し賑々しく繰広げられた様のひとコマが描かれている。 (『院政期の絵画』カタログ…