2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

美味多々!!!

長崎といえば何といっても卓袱料理、特に東坡肉(豚の角煮)を楽しみにしていたので、先ず初日は卓袱料理と予約の電話をすると、どの店も4人以上で予約します、と、いう事で心を残して「ちゃんぽん」に方向替え。その、ちゃんぽんは、出汁の利いたスープにて…

(19)長崎紀行‘94(5)

ロシア料理「ハルピン」

ビードロ美術館

長崎は日本のガラスの発祥の地であるとともに、江戸時代にオランダ交易の唯一の窓口であった事から、ボヘミアンガラスや西洋のアンティークガラスが流入し、これらのガラス工芸品は「ビードロ」あるいは「ギャマン」として当時の大名や豪商に珍重された。そ…

(18)長崎紀行‘94(4)

「ビードロ美術館」へ向かう道。横断歩道を渡ると瀟洒な二階建ての建物に辿り着く。

隠居のHarvard Summer School 留学記(23)

2004年8月8日(日)【エネルギーを充電して】昨日は組織的に物事を奨めなければと思ったものの、疲れが溜まったのか結局一日中ぼんやりして、応募するエッセイのプロットを練る計画は結局おじゃんになった。どういうわけか頭の中が煮詰まって、考える…

新古今の周辺(43)鴨長明(40)歌論(12)「本歌取」の評価と

ところで優れた先人の歌の一部を自分の歌に取り入れる「本歌取」はどのように評価するのであろうか。それの一つのあり方を鴨長明は歌の師・俊恵の体験を通して『無名抄』で次のように述べている。「8.頼政の歌 俊恵選ぶこと建春門女院(※1)の殿上歌合(※…

国際墓地の街

長崎の街を歩いていて、日本風、唐風、洋風の国際色豊かな墓地があちこちに点在しているのに気づかされた。特に市電の起点「ホタル茶屋」近くの高台にあった唐風な墓地は風情があって印象的だった。それもそのはず、長崎は1571年(元亀2)にポルトガル…

(17)長崎紀行‘94(3)

長崎の墓地 ホタル茶屋近くの唐風な墓地

坂道を見ると何故か歩きたくなる

大型観光バスで阿蘇から長崎市に入ったのだが、その時に長崎市の地形が擂鉢状である事を初めて知った。だからこそ坂の多い街なのだ。私は坂道を見ると何故か歩きたくなる性分で、これが厄介なのは、夢中になってドンドン歩いているうちに行き止りの民家の住…

(16)長崎紀行‘94(2)

長崎の坂道

生活リズムの異なる友人と旅をすると

当時の私は朝5時半に起きて300CCの牛乳、ゆで卵、トースト2枚で腹ごしらえをして都心の職場に始業1時間前に出勤して「人がいなくて静かだと仕事が捗る」とうそぶくOLだった。そんな私が夜型の友人と長崎旅行をした。朝型の私は5時に目が覚めてしま…

(15)長崎紀行‘94(1)

長崎のホテルからの早朝の眺め(1)長崎のホテルからの早朝の眺め(2)

隠居のHarvard Summer School 留学記(22)

閑話休題(3)教授のレクチャーで印象に残った事毎週金曜の午後は、全レベルの英語研修学生が一同に集合して、ハーバードの教授から専門分野のレクチャーを受けるPlenary Lecture Seriesの授業が組まれている。今振り返って思い出せるテーマは、「グアテマ…

正しい夏バテ対策とは

25歳頃、西武池袋線沿線の六畳一間の賃貸アパートに住んで2度の夏を過ごした私であったが、夏になると決まって夜中に腹痛・下痢を起こし、駅前の病院に駆け込む羽目になった。診断名は決まって:「大腸カタル(※1)」。「貴方の様な胃の強い人ばかりだと…

(14)「しぎ焼き」と「大腸カタル」

新古今の周辺(42)鴨長明(39)歌論(11)藤原定家の「本歌取

鴨長明は藤原定家の「本歌取」に対する姿勢を『無名抄』で次のように記している。74 新古の歌 2後鳥羽院御所における歌合(※1)で藤原隆実(※2)が今来むと 妻や契りし長月の 有明の月に 牡鹿鳴くなり 【現代語訳:すぐ行くよと 妻の鹿が約束したのであ…