2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(106)遁世僧(27)南都(2)名利に繋がる

ここで院政期の仏教政策に触れると、法勝寺を始めとする尊勝寺・最勝寺・円勝寺・成勝寺・延勝寺の六勝寺を御願寺と位置づけ、これらを舞台に上皇・天皇・女院を始めとする皇族に関白以下殿上人が、畿内から数百人にのぼる僧侶を召請して華麗かつ荘厳な法会…

古書から滑り落ちた時代の断片

私の古書街漁りは、OLとして働き始めた大手町の職場からゴトゴト都電に揺られて神保町入りをした頃から始まっている。都電が消えてからはトコトコと徒歩で通い、60歳の定年退職後は都営地下鉄で月に一度は神保町詣でをしている。 捜し求めた獲物を手にし…

後白河院と寺社勢力(105)遁世僧(26)南都(1)世業を厭って

鎌倉後期の華厳宗の僧で『八宗綱要』『三国仏法伝通縁起』などを著し東大寺戒壇院の長老を務めたた凝然(ぎょうねん)が、師の戒壇院中興の祖・実相房円照(1221〜1277)の生涯を描いた『円照上人行状』には「世業」あるいは「世栄」を厭って遁世し…

後白河院と寺社勢力(104)遁世僧(25)大勧進重源(22)支度

建久6年(1195)3月12日、鎌倉中の御家人を率いた源頼朝が臨席して東大寺大仏殿供養が盛大に催されたその日に、重源は弟子の含阿弥陀仏(ごんあみだぶつ)定範(じょうはん)に充てて一通の譲り状をしたためた。 東大寺復興事業はその後も戒壇院・南…