2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(76)渡海僧(20)道元 6 留学拠点・建仁

道元の伝記『建撕記』によれば、叡山の本覚思想に大きな疑問を抱いた道元に、三井寺の公胤は問題解決の糸口として入宋すること、そのためには宋の虚庵懐敞から臨済宗黄龍派を嗣法した栄西開祖の建仁寺の門を叩くよう進言したとされている。 ここでは道元が建…

後白河院と寺社勢力(75)渡海僧(19)道元 5 公胤の専修念仏

14歳で道元が身を投じた当時の叡山を支配していたのは「自身本覚(じしんほんがく)、我身即真如(がしんそくしんにょ)」、自分がそのまま真実であり、自分がそのまま仏であるという本覚思想であった。 もし本覚思想が唱える通り衆生に本来仏性が具わって…

後白河院と寺社勢力(74)渡海僧(18)道元 4 出家の根拠を求

道元は建保5年(1217)の夏に18歳で建仁寺の明全に入門し、その後明全と共に入宋するのだが、それ以前にも15歳で一度叡山を降りて三井寺の座主・公胤を訪ねている。 この頃の叡山は、清水寺の帰属を巡って興福寺と激しく争い、興福寺の衆徒が春日大…