2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

後白河院と寺社勢力(21)国守の受難(4)藤原公任 紙背文書と装

平安・鎌倉期に朝廷と幕府が発した公文書は殆ど残っておらず、当時を再現するには「中右記」「御堂関白記」などの公卿日記と大寺社が保管する荘園等土地証書をつき合わせるしかないとされる状況の中で、紫式部の夫の荘官に徴税活動中の郎党を殺害された大和…

後白河院と寺社勢力(20)国守の受難(3)追捕官符と王朝の治安機

藤原宣孝の荘官一味に徴税に当たっていた部下を殺害された大和守源孝道の対応は素早かった。彼は郡司が作成した初期捜査記録である「事発日記」に「国解」を添えて朝廷に上奏し、折り返しに朝廷から「追捕官符」を受け、直ちに官人と追捕使を率いて犯人4人…

後白河院と寺社勢力(19)国守の受難(2)徴税中の部下を殺された

長保元年(999)8月、大和国城下東郡で早米(早稲)の徴収をしていた大和守源孝道の郎党が数十人の暴徒に殺害された。当時の国守が中央政府に提出した犯罪捜査記録ともいえる「大和国解」(※1)によると、この事件は右衛門権佐(ごんのすけ)藤原宣孝所…