1977年末アメリカ西海岸旅行(2)雲上の年越し蕎麦

1977年頃の企業の仕事納めは12月29日が一般的で、12月30日から翌年の1月4日迄が年末年始の休暇であった。が、当時のパスポートの入出国記録を見ると、出国27.DEC.1997 HANEDA 入国4.JAN.1978.HANEDAのスタンプが捺されているから、あの頃の私はいわゆるお気楽OLだったのだ。

あれから40年を経て、今でも忘れがたいのは、機中で、にこやかなスチュワーデスから饗された、白地に鮮やかな日輪を描いた盃に注がれた日本酒と、小ぶりな朱色の器に盛られた日本蕎麦。さきイカと乾き物付の日本酒で行く年を噛みしめ、ワサビの利いたお蕎麦をすすりながら新たな年へ思いを馳せる、と、いう趣向か。まさか雲上で一足早い年越し蕎麦を味わえるとは、JALの心配りの行き届いたサービスに私たちの気持ちは大いに和んだのだった。

そうこうするうちに飛行機は徐々に高度を落し「いよいよ生まれて初めてアメリカの地を踏むのだが、私たちの英語は果たして通じるかしら」などと友人とはしゃいでいるうちに無事にサンフランシスコ国際空港に着地し、乗客一同は拍手と歓声で機長への労をねぎらったのである。

そして添乗員の懇切丁寧な指導のお陰で、入国審査を「サイト・シーイング」と発するだけで無事通り抜けたのだが、一目散にトイレを目指した私は目的地の前でギョッとして足を止めた。


公衆トイレは最小限を覆えば良いか!!!正にカルチャーショックだった。