2017-01-01から1年間の記事一覧

新古今の周辺(54)寂蓮(1)「結題」を巡って 後鳥羽院と定家

「一、 時に難(かた)き題を詠じならふべき也。近代あまりに境(さかひ)に入りすぎて、結題(むすびだい)の哥も題の心いとなけれども苦しからずとて、細やかに沙汰すれば、季経(※1)が一具(※2)にいひなして平懐する(※3)事、頗(すこぶる)いはれ…

彼方の記憶(14)Sales Tax Holiday

先回に引き続いて2004年のハーバード大学サマースクール留学時のお話。サマースクール終了を一週間後に控えた8月15日、私が学生寮からケンブリッジに滞在している日本人の友人に電話をすると、電話口に出た彼女のご主人が「今日はSales Tax Holidayだ…

彼方の記憶(13)宙ぶらりんのドル小切手

2004年の定年退職直後にハーバード大学のサマースクールに短期留学した時は、大学の生協ともいえるCOOPを大いに活用した。初っ端から授業に必須の教科書・ファイル・レポート用紙などの文具一切、寮生活に必要な洗面具や諸々の雑貨、着替え用の衣類…

老前整理という家具のリストラ

居住区の「粗大ゴミ運び出し収集」という行政サービスを利用して、30年来愛用していた木目が自慢の「ハビタ」のロッカー・書棚・戸棚一式と「KOSUGA」のサイドボードを処分して、組立棚とキャスター付きの収納ボックスに切り替えた。これで、地震の時に転…

彼方の記憶(12)走る「うどん」のCM

2005年の師走も間近なある日、「あっ」という間の事だった。寒風吹きすさぶ品川駅の山手線のホームに、緑の車体に熱々湯気の立ちそうな「うどん」の写真を貼りつけた電車が滑り込んできたのは。しまった、呆然と眺めている間に写真を撮ればよかったと思…

彼方の記憶(11)ピカチュー飛行機

2006年のある日、秋晴れのさわやかさに誘われて羽田空港に行く。都営浅草線と京急乗り入れで、わが家からdoor to doorで45分。当時は羽田空港の再国際化を目指して拡張工事が相次ぎ半日で見終えるには広くなりすぎたので、全日空中心の第2旅客ターミ…

彼方の記憶(10)NYSEのロゴ入り名刺入

1986年のGWを利用して友人とアメリカ東海岸を旅行したのだが、初めてニューヨークの5番街に足を踏み入れた私を驚かせたのは、高級ブランドロゴ入りショッピングバックをぶら下げて闊歩していたのが日本人ばかりだったこと、ティファニー店内でショー…

新古今の周辺(53)源頼政(8)娘・二条院讃岐

わが袖は 潮干(しほひ)に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾くまもなし 【現代語訳:私の袖は、引き潮の時にも見えない沖の石のように あの人は知らないでしようが 悲しみの涙で乾くひまもありません】この歌は『小倉百人一首』で知られる二条院讃岐の作だが…

彼方の記憶(9)「私81歳で現役なの」と、のたまう女性

2008年6月の歌舞伎座での出来事だった。 夜の部の最初の演目が終わり、私は三階ロビーのソファに向かってダッシュした。幸い三人掛けの右端を確保できたので自宅から持参した弁当を広げた。左端では私より少し年長の女性が幕の内弁当を開いていたが、間…

彼方の記憶(8)ファーストクラス搭乗の夫人と同じパックツアーで

1995年に勤務先の2週間連続休暇制度を利用して参加した「東欧・中欧11日間パックツアー」に、ファーストクラスに搭乗する上流夫人が一人加わったので、これまで参加したパックツアーと大きく勝手が違った。その夫人によると、何でもご主人と一緒に参…

彼方の記憶(7)日本女子大出の銀座クラブのママ

バブルよりもずっと前、田中角栄の「日本列島改造論」が爆発的に売れ、その直後に彼が首相になった1972年頃は、日本経済が高度経済成長軌道をまっしぐらに進み、企業は何を作っても売れて儲かるという、日本全体が活気のある時代であった。そして企業交…

新古今の周辺(52)源頼政(7)加階・内昇殿も喜び半ば

源頼政は自らの出世・昇進についての心情を極めて率直に歌に詠む人らしく『頼政集』から幾つか採りあげてみたい。先ずは、仁安3年(1168)10月に正五位下に加階昇進したときの喜びから、正下の加階して侍りし時 右馬権頭隆信(※1)がもとよりよろこ…

(27)矯めつ眇めつ『勝鬨橋』 

私にとっての橋といえば「勝鬨橋」のことであって、レインボーブリッジでも横浜のベイブリッジでもない。勝鬨橋には「橋から眺めて良し」「橋の姿・形が良し」「そぞろ歩きするも良し」の三拍子が揃っている。以下は「晴れた日は勝鬨橋へ」をモットーに足繁…

彼方の記憶(6)『ルービン回顧録』

2005年11月頃に「ルービン回顧録」を読んだのだが、著者のロバート・ルービン氏は、ウオールストリートのトップ企業ゴールドマン・サックスの共同会長から、クリントン政権発足に伴い新設された国家経済会議の委員長に就任し、その後1995年〜19…

新古今の周辺(51)源頼政(6)内昇殿への焦がれ

源頼政は長治元年(1104)源仲政を父として誕生したが、世は白河院政が開始されて19年目に当たっていた。頼政の生没年は父・仲政と同様に未詳であるが、これは当時の武士階級には、藤原宗忠の『中右記』、九条兼実の『玉葉』、吉田経房の『吉記』、藤…

(26)○○搾り胡麻油

この絵は2013年頃にデッサンの練習に描いたものだが、はてラベルの向こう側の文字は何だったか。「搾り」であることまでは確かだが「一番搾り」だとビールになるし。多分「古式搾り胡麻油」だろう。工場の機械で搾るのではなく、長年使い込んだ飴色より…

彼方の記憶(5)身内の嫉妬を買う公務員年金

2006年頃の都内のスタバで嫌でも耳に入って来た女性同士の会話。(その1) 初老の女性と40代とおぼしき女性の会話初老の女性の母親と同居していた独身の姉が、母親が亡くなった後に遺産を勝手に処分して、その売却金を適当に兄弟姉妹に配分して、本人…

(25)野菜のお話(6)さやえんどう

さやえんどうの親戚スナップエンドウ育ったのが岡山県北の盆地だったので、日本海と瀬戸内海の魚介がいつも食卓にのぼり、おかげで魚大好き人間になった。それも高級魚ではなくもっぱら青魚。そういうわけで、東京暮らしも半世紀を超えているのに、未だに忘…

彼方の記憶(4)スタバのイチローカード

2005年4月5日の日経夕刊だったと思うが、「スタバのプリペイカード、イチロー選手起用」という見出しで、当時のハワード・シュルツ会長の写真入りコメントを掲載していた。あの頃は、イチローの拠点もスタバの拠点も共にシアトルという連帯感からの意気…

新古今の周辺(50)源頼政(5)父・仲政(2)父子相伝!!!

次の歌は「大原の三寂」のひとり、寂然法師(※1)と源頼政の父・仲政との間で交わされた歌である。父なくなりて後、常盤の里に侍りける比、やよひばかりに源仲正(仲政)が許に遣しける 寂念法師春までもとはれざりける山里を 花さきなばと何思ひけむ返し …

新古今の周辺(49)源頼政(4)父・仲政(1)家人一家を成す

清和源氏の源頼光の曾孫に当る頼政の父・仲政(仲正とも書く)の生没年は未詳だが、三河守頼綱を父として治暦2年(1066)頃生まれ、崇徳天皇治世下の保延3年(1137)以後に没したとみられる。【源頼政の直系略図】 源満仲→頼光→頼国→頼綱→仲政→頼政→仲…