2017-05-15から1日間の記事一覧
藤原定長が出家して寂蓮と称するのは彼が34才の承安2年(1172)頃とされているが、その頃の花壇で中心的な役割を果たしていたのは『詞華集』(※1)を撰進した藤原顕輔やその息子の清輔・重家・顕昭・李経などの六条藤家(※2)であり、後に日に彼ら…
藤原定長が出家して寂蓮と称するのは彼が34才の承安2年(1172)頃とされているが、その頃の花壇で中心的な役割を果たしていたのは『詞華集』(※1)を撰進した藤原顕輔やその息子の清輔・重家・顕昭・李経などの六条藤家(※2)であり、後に日に彼ら…