新古今の周辺(70)寂蓮(17)仙洞歌壇(2)『老若五十首歌合』

次は「本歌取り」と想像力との関係に焦点を当てて、この歌合で女流歌人の越前と競って勝ちとなった寂蓮の次の歌を採りあげたい。

  秋 125番        寂蓮

むら雨の露もまだひぬ真木の葉に霧たちのぼる秋の夕暮

【現代語訳:ひとしきり降った村雨が止んでまだ間もないのに、その村雨が残した露がまだ乾ききっていない真木の葉に、もう霧が立ち昇ってくる秋の夕暮なのだ。】

この歌は『新古今和歌集』(巻二・春下、169番)並びに『寂蓮法師集』に収められているが、ここでの寂蓮は、「秋」の歌題で「霧」を歌材に詠むなかで、露もまだひぬ の露を村雨のしずくに託して、自然現象としての秋の気配を客観的に描写している。

ところで、露もまだひぬ の句を、最初に詠んだのは、『蜻蛉日記』及び『後拾遺和歌集』(巻十二・恋二、700番)に収められている大納言道綱母(※1)の次の歌とされている。

  入道摂政九月ばかりのことにやよがれしてはべりける、つとめてふみおこせてはべりけるかへりにつかはしける     大納言道綱母

きへかへりつゆもまだひぬそでのうへにけさはしぐるるそらもわりなし

【現代語訳:入道摂政兼実が九月頃のことであったか、夜離れしていた頃のある早朝に、よこしてきましたてがみの返事に詠み贈った 大納言道綱母

  あなたの訪れがないので、すっかり消えてしまいそうな気持ちで、涙もまだ乾かない袖の上に、今朝の時雨が降る空も何とも堪え難く思われることよ。】

次に大納言道綱母の後に、つゆもまだひぬ の句を詠んだ藤原俊成と藤原忠良(※2)の歌を採りあげたい。

先ずは、『長秋詠嘆 中』(冬、261番)及び『続古今和歌集』(巻六・冬、542番)に収められた藤原俊成の次の歌から、

   十月朔日時雨しけるに

いつしかとふりそふ今朝の時雨かな露もまだひぬ秋の名残に

【現代語訳:  十月一日、 時雨が降った時に、

いつからか私の心に添うように降る今朝の時雨であるなあ。露もまだ乾かない秋の名残のように】

この歌で俊成は、夜離れした男を恨む女の物語をイメージし、露もまだひぬ を「流す涙も乾かないうちに」と、大納言道綱母の歌の場面に重ねて詠っている。

次に、『正治二年院初度百首』(冬、759番)に収められている藤原忠良の歌を見てみたい。

かきくらし空も秋をやをしむらん露もまだひぬ袖に時雨れて。

【現代語訳:あたり一面を暗くして、空も秋を名残惜しく思っているのだろう。露もまだ乾かない袖の上に涙して時雨れていることよ】

初冬を詠んだこの歌で、忠良は 露もまだひぬ を、袖によって涙を思い起こさせているが、失った恋への涙ではなく、いよいよ秋も過ぎたのかとの感傷の涙を表現している。

このように 露もまだひぬ の一句をとっても、「本歌取り」には作者の想像力によっては、読む者に多様な場面を想起させる事が可能な表現スタイルであることがわかる。

(※1)大納言道綱母:平安中期の歌人。19才の頃、後の太政大臣藤原兼家の妻となり道綱を産んだ。美貌の誉れ高く本朝三美人。『蜻蛉日記』の作者。『拾遺和歌集』以後の勅撰集に37首入集。

(※2) 藤原忠良:法性寺殿藤原忠通の孫。良経の従兄。『正治二年初度百首』『老若五十首歌合』『新宮撰歌合』『千五百番歌合』などに出詠。『千五百番歌合』では判者も務めた。『千載和歌集』以後の勅撰集に69首入集。

参考文献:『日本の作家100人〜人と文学 寂蓮』 半田公平 勉誠出版