1977年末アメリカ西海岸旅行(3)フィッシャーマンズ・ワーフの海老の背ワタ

シーフード大好きの友人と私にとって、サンフランシスコ湾に面したフィッシャーマンズ・ワーフは何をさしおいても足を運びたい所であった。何しろ目の前の海から水揚げされたばかりの魚介が、ダイレクトにレストランのキッチンに運ばれて客に饗されるのだから、新鮮さと旨さにおいてこれに勝るものはない。

私たちツアー客一行を乗せた観光バスは市内遊覧の途中でフィッシャーマンズ・ワーフに停車したのだが、自由時間は30分、とてもレストランに腰を据えてシーフード料理に舌鼓を打つ余裕は無い。

で、私たちは、カラフルな幟がはためくレストランの庇の下で、麦わら帽子の下から褐色に日焼けしたおじさんが手招きする立ち食い屋台を目指してダッシュした。

おじさんは、オデン鍋を平たくしたような丸くて大きな鍋から、小振りな海老、蟹、貝と透明なスープを発泡スチロールの小振りの深皿に取り分けてくれたので、私はプラスチック製のフォークで、そそくさと海老を口に入れたところで「うっ」と手が止まってしまった。何だか苦い。貝を口にすると吝くて噛みきれない。そして旨みたっぷりのはずのスープも何やらいがらっぽい。

私たちの頭の中では、新鮮だから身が柔らかく、ジューシーな旨みが口中に広がるはずであった。しかるに、海老も蟹も煮すぎて身が硬く、プチッと歯先でかみ切る醍醐味からはほほど遠い。スープに至っては甘みも旨みも何処へやら、苦味ばかりが口中に広がっていく。

ふと、深皿の小海老に目をやると、うっすらと背ワタが浮き出ているではないか。どうやら彼の地では、海老の背ワタを取り除く下拵えや、材料の旨みを最大限引き出す火加減といったシーフード料理のノウハウがなく、舌触りも味の内といった食に対する感覚が私たちとは大きく異なっているようだった。


    
友人と私はその翌年もサンフランシスコを訪れたが、フィッシャーマンズ・ワーフに足を運ぶ事はなかった