隠居のHarvard Summer School 留学記(3)

2004年6月30日(水)

オリエンテーションで先制パンチを】

今朝出席する予定のオリエンテーションに関して学校当局からメールが届いた。その骨子は次のようになる。

(1) 私はIEL(Institute for English Language Programs)のlevel Bに属し、
(2)Methodology は・Education・Politics ・Environmentを軸にしたTopics Content basedで、  
(3) Course Component
   Mon - Fri (9-11am) Intensive Integrated Skills (each class )
   Mon - Wed (1-3pm) Theme-based Workshop (A,B together)
   Tu (1-3pm) Event (Sight Visit) or class lecture
   Fri (1-3pm) Plenary lecture (all level)

この時間割をみて楽勝と早合点してはならない事をオリエンテーションにおけるIEL Director のDr.H女史の歓迎スピーチで思い知らされた。

H女史は演壇に登場するやいなや自己紹介もそこそこに、いきなり私たちに「オリエンテーション資料を入手して既に目を通してここに臨んでいるか」と質問して目を通していない学生に挙手を求め、「このような場に臨むにあたって事前に資料に目を通しておくのは学ぶ者として当然の事でそれが出来ていないのは問題だ」と弾丸のような言葉で学生の参加者意欲の欠如を厳しく指摘した。

鉄の女を彷彿させるH女史はさらに続けて、世界有数のプロフェッショナルやトップクラスの学者を輩出するハーバードで学ぶのであるから、学生もそれなりの熱意と責任ある姿勢で臨むべきとの先制パンチを私たちに浴びせたのだ。

私はそんな彼女に半ば反発を覚えながら、ふと演壇の脇に控えている教師たちに目を移すと、彼・彼女たちはH女史の存在に緊張しているのがひしひしと伝わってきた。

オリエンテーション資料の一部

【小論文でクラス分け】

H女史のスピーチが終わってから私たちはレベルごとに分けられ、私が属することになるレベルB担当の二人の女性教師から自己紹介と授業の説明を受けた。そのうちの一人は在米25年のほっそりとした小柄なイラン人のMa先生、もう一人は博士号を持つ大柄でパワフルなドイツ系のMo先生であった。

これでやっと一息つけると思いきや、二人の教師はいきなり私たちに制限時間25分でエッセイ(小論文)を書くように命じた。何しろ突然なので戸惑ったのは私だけではなかったが逃げるわけにはいかない。テーマを考える時間もあまりないので、ワシントン・ダレス空港でボストン便へ乗り換える際に体験したセキュリティ・チェックについて書く事にした。

ワシントン・ダレス空港は広大ではあるが、事前のスケジュール確認では乗り換え時間は有り余る事になっていた。そして重い荷物を引き摺りながらセキュリティ・チェックを待つ人達の最後尾に並んだ時、Tシャツに短パンそしてゴム草履の超カジュアルウエアーの人ばかりに唖然とした。ワシントンと云えば世界政治の中心地で、高級官僚・外交官は元よりコンサルタントロビイストなどホワイトカラーの聖地のはずなのにビジネス・スーツをまとった人はほとんど見当たらない。

2001年9月11日の同時多発テロによりセキュリティ・チェックが厳重さを極めたからであるが、とぐろを巻いた蛇のように幾重にも連なる列は一向に前に進まない。うんざりするほど待たされた挙句に、検査官は横柄な態度で私に靴を脱ぐように命令してその中をチェックし、スーツケースの中を掻き回して、バッグから引き出したパソコンをルトコンベアーに放り投げて検査をし、やっとセキュリティ・チェックを終えて重いスーツケースとバッグを引き摺って長いコンコースを全力疾走してボストン便に乗り込んだ時は離陸直前であった。

なるほど、これではTシャツ・短パン・ゴムサンダルの方がスムーズに運ぶと妙な納得をしながら機内の座席に転がり込むと既に機長の離陸のアナウンスが流れていた。私は手荷物を隣の座席に放り出して呼吸を整えるのに精一杯だったのに、髭の添乗員は「あなたは離陸の態勢がわかっていない」と大声で喚くのだ。

ここで書かされたエッセイが直ちに別室で二人の教師によって審査され、如何なる基準に拠ったものか理由は説明されなかったが、私はレベルB-1のクラスに属してイラン人女性のMa先生の指導を受けることになった。

2カ月暮らすことになったカークランドハウスの外観




そういえば友人に誘われた2010年の東京国際映画祭で、特別招待作品のFacebook誕生を描いた「ソーシャル・ネットワーク」を観ていた時、イントロに流れた「Facebookは2003年秋にハーバード大学カークランド寮で誕生した」のナレーションに跳び上がってしまった。私たちが暮らした直前のカークランドハウスを舞台にマーク・ザッカバーグと仲間たちが、数年後に世界を大きく変えるビジネスを立ち上げるべく熾烈なドラマを展開していたのだ。