新古今の周辺(21)鴨長明(21)少女の突っ込みにタジタジ

長明は、歌人でなくても物事の道理を解する者であれば12歳の少女でも鋭い批判が出来る例を『無名抄』で次のように述べている。

51 非歌仙、歌の難したること

歌は世に知られた歌詠みでなくても道理や理屈の面からも広い範囲で親しまれている文芸であるから、身分の低い者でも自ずと歌の良し悪しの判断は出来るものである。

長守(※1)の語った、
「述懐(※2)の歌などを数多く読んできましたが、その中のざれごと歌(※3)に、

火おこさぬ夏の炭櫃(※4)のここちして人もすさめずすさまじの身や
【現代語訳:火のおこっていない夏の炭櫃のように、人からも相手にされない何とも興ざめなわが身であることよ】

と詠んだ歌について12歳の少女から
『夏の炭櫃に火がないよりも冬の炭櫃に火がない方がより興ざめして凄まじさが感じられますよ。どうしてそのように詠まなかったのですか』
と突っ込まれたのですが、残念ながら反論する事ができませんでした」
という話を本当に面白く感じました。

さて、すさまじきものとしての火おこさぬ炭櫃は、清少納言が『枕草子』第22段で「すさまじきもの 火おこさぬ炭櫃(すびつ)・地火炉(ぢくわろ)。」と記しているが、彼女が夏とも冬とも述べていないのは冬が前提だったからであろう。

おそらく、鴨長守は枕草子を引用して我が身の滑稽さを詠んだと思うが、余分な「夏」を加えたため興を削ぐ歌になってしまった。そこを12歳の少女に鋭く突っ込まれてタジタジとなった長守の姿を長明は活き活きと描写している。

(※1)長守:鴨長守。生没年未詳。下鴨神社禰宜長継の息子。長明の兄または弟。

(※2)述懐(じゅっかい):心の思いを述べる事。愚痴を言い立てる事。述懐の歌には昇進の遅れなど身の不運を嘆く歌が多い。

(※3)ざれごと歌:滑稽味のある歌。俳諧歌。

(※4)炭櫃(すびつ):囲炉裏。炉。一説には角火鉢。

参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫