歌の心得のない者でも時に秀歌を詠むことがある例を鴨長明は『無名抄』で次のように述べている。
52 思ひ余る頃、自然に歌詠まるること
深く思い詰める状況に追い込まれた時など、自ずと歌が詠まれることもある。金葉集(※1)のよみ人知らずの中に、
身の憂さを思ひしとけば冬の夜もとどこほらぬは涙なりけり
【現代語訳】この身のつらさをよくよく考えてみると、水が凍る冬の夜も滞る(凍る)ことなく流れ出るのは涙だなあ
と詠んだ歌があるが、この歌は仁和寺(※2)の淡路の阿闍梨(※3)と云う人の妹に仕えた新参の女房が、人生の辛さを深く深く思い悩んで詠んだものですが、もとから歌詠みではないのでこれまで歌を詠んだことは一度もありません。
しかし、物事を深く思い詰めるあまり、ただただ自分の心情を吐露した言葉が自ずと優れた歌になっています。
(※1)金葉集:金葉和歌集(きんようわかしゅう)。第5番目の勅撰和歌集。10巻からなる。源俊頼が白河法皇の院宣により撰集した。新しい歌風の作品が多く見られ後の『新古今和歌集』の先駆となる。
(※2)仁和寺(にんなじ):京都市右京区御室大内にある真言宗御室派の総本山。代々法親王が入寺し門跡寺院の首位にあった。桜の名所でもある。
(※3)阿闍梨(あじゃり):師範たるべき高徳の僧の称。密教で修行が一定の階梯に達し、伝法灌頂により秘法を伝授された僧。
参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫