鴨長明と兼好法師が『無名抄』と『徒然草』で、登蓮法師(※1)の振舞をそれぞれの視点でとらえて述べているのがなかなか興味深い。
(1)「無名抄 16 ますほのすすき」から、
「雨の降る日に、ある人のところに気心の知れたもの同士が集まって、古い事などを語っているうちに、『ますほのすすきというのは、どんなすすきなのだろう』という話になり、一人の老人がおぼろげな様子で『渡辺(※2)というところに、これに詳しい聖がいると聞いたが』と話し始めた。
座に加わっていた登蓮法師はこれを耳にして、言葉少なになり考え込んでいたが、いきなり邸の主人に『蓑と笠があれば暫くお借りしたい』と言うので、主人は何事かと思いながらも蓑と笠を取り出したところ、登蓮法師は座を立って蓑を纏い藁沓を履いて今にも出かけそうな様子なので、皆が訝しく思ってどういう事かと聞くと、『これから渡辺へ向かいます。このところずっと疑問に思っていた事を明らかに出来る人がいると聞いたうえは、どうしても会って直に尋ねたい』と云う。
一座の人は呆れながら『それにしても、雨が止んでからでもよいのでは』と引き留めにかかったが、登蓮法師は『なんと愚かな事を言われるものか。自分の命も他人の命も雨が晴れるまで待つなどということはありません。ともかく今は静かにお待ちください』と言い置いて雨の中を出かけて行った。並外れた数寄者(※3)である。
さて、思い通りに尋ねた聖に会えて年来の疑問を明らかにした登蓮法師はこの事を大切に秘蔵して滅多に人に云う事はなかった」
(2)「徒然草 第百八十八段」から、
「人の多く集まっている中で、ある者が、『ますほの薄(すすき)、まそほの薄などいふ事がありますが、わたのべの聖がこの事を伝へ詳しく知っているようです』と語るのを、その座に加わっていた登蓮法師が聞いて、雨降が降っているにもかかわらず、『蓑笠があればお貸し願いたい。かの薄のことを教わりに、わたのべの聖のもとに尋ねてまいりたいので』と言うのを、『それにしてもあまりにも慌ただしい。雨が止んでからにされては』と皆が留めるのを『とんでもないことを仰いますな。人の命は、雨の晴れ間を待ってくれるものでしようか。私も死に、聖も亡くなってしまえば、尋ねて聞く事もできません』と言い残して雨の中を駆け出してゆき、聖から習ったと申し伝えたという事こそ、大したことであり、またありがたいことです。
『敏(と)き時は則(すなわ)ち功あり』(※4)と論語にもございます。この薄(すすき)について知りたいと思った登蓮法師のように、悟りを開いて人間として完成する機縁となる一大事の因縁を思うべきです」
さて、薄についての疑問を明らかにするために思い立ったその時に雨の中を聖の元に走った登蓮法師の振舞を、自らを数寄者と任じる長明は「数寄者はこうでなくては」と称賛している。
それに対して、人生の傍観者たる兼好法師は、登蓮法師の素早い行動力を『論語』を引き合いに出して「人生訓」の例えとして述べている。
(※1)登蓮法師:生没年未詳。治承2年(1178)頃には生存、出自未詳。俊恵の白河の僧房「歌林苑」に出入りしていた隠遁歌人。『詞花集』以下の勅撰集に19首入集。『登蓮法師集』がある。
(※2)渡辺(わたのべ):「渡辺」または「渡部」と書く。摂津の国西成郡にあった地名で難波江の渡り口の地。
(※3)数寄者(すきもの):風雅な人。この場合は和歌を好む人。
(※4)『敏き時は則ち功あり』:機敏であれば成功する。弟子の子張が孔子に仁を問うた中で、子曰(のたまわ)く「・・・・・敏なれば則ち功あり・・・・」とある。
参考文献: 『無名抄 現代語訳付き』久保田淳 訳注 角川文庫