後白河院と寺社勢力(20)国守の受難(3)追捕官符と王朝の治安機

  藤原宣孝荘官一味に徴税に当たっていた部下を殺害された大和守源孝道の対応は素早かった。彼は郡司が作成した初期捜査記録である「事発日記」に「国解」を添えて朝廷に上奏し、折り返しに朝廷から「追捕官符」を受け、直ちに官人と追捕使を率いて犯人4人を逮捕し、さらに現場検証・犯人尋問・証人尋問などの捜査・審理の調書を作成して犯人身柄とともに国解(捜査報告書)添えて朝廷に提出したが、この間、事件発生から10日、追討還付を受けてから7日目という迅速さであった。


 これは大和守が朝廷から逸早く「追捕官符」受け、公然と追捕使を動員できた事が犯人捕獲に決定的な役割を果たしたことを示しているが、犯人捕獲後大和守から朝廷に上申された国解は、摂政藤原道長の内覧を経て一条天皇に奏聞し、その後は検非違使別当藤原公任の手に渡り、尋問調書と判決案作成は検非違使が犯人の取調べを行なって作成し、それは検非違使別当の手から道長道長から一条天皇の奏聞を経て犯人の禁獄が決定した。


 さて、朝廷は「追捕官符」をどのような場合に発給するかといえば、国家・社会の秩序を乱す謀叛・大不敬・悪逆などいわゆる八虐を犯した場合に、陣の定(公卿会議)で決議し、最終的には天皇の意向で太政官が発給するが、殺害事件で被害者が五位以上の官人、王臣家の家人、寺社の僧侶・神人、公務執行中の国衙役人の場合もしばしば発給された。また、追捕官符の対象になった犯罪者は恩赦の対象から外れるだけでなく、数々の権利(私領や公田耕作権)も没収された。


 ところで「追捕官符」に関連して源平動乱期に後白河院が度々発した「追討院宣」に話は飛ぶが、井上靖著「後白河院」で著者は、院の近臣吉田経房と院の仇敵とされる九条兼実後白河院院宣について次のように語らせている。

 
 先ずは、10回とも11回とも言われる後白河院の発した追討院宣を草案した吉田経房の弁から、

『院から頼朝追討の最初の宣旨を草するようにという御沙汰を賜ったのは、相国入道在世中の治承4年11月7日のことであった。頼朝が旗揚げして間もない頃で、朝廷では評議の上、取り敢えず、伊豆国の住人頼朝の叛乱事件として、これを措置することになったのである。蔵人頭として当然余が受け持つべきことであるが、院は、その時、追討の宣旨や院宣を今後度々草してもらわねばならぬというようなことを、お笑いに紛れておっしゃった。

 その時は、そのお言葉を深い意味では考えず、何か不分明なところのあるままに承ったのであるが、それから今日までに、余は院のお言葉通り、度々宣旨院宣を草することになったのである。平氏に降ろされた頼朝追討の院宣、反対に平氏に対して降ろされた義仲追討の院宣、あるいはまた義仲に対して降ろされた頼朝追討の院宣、はては頼朝に降ろされた義仲追討の院宣等々、院のお言葉通り、澤山の宣旨院宣を草して来た。』


 次は後白河院のやる事なすことに悉く批判的であった九条兼実の弁、

『余が院のお考えに真向から反対したのは文治元年10月、頼朝卿追討の宣旨を降ろされた時の事である。(中略)宣旨を降ろされた前夜、院の御使いとして大蔵卿泰経が余の宅に来て、頼朝卿追討の宣旨を降ろされることの可否を質された。義経は初め必ずしもこれを望んでいなかったが、行家が叛を謀り、今やそれを制止することの出来ない立場に立ち、義経も亦それに同調しようとしている。そして院宣を賜らんことを望み、若しご許可無ければ御身(後白河院)をお預かりして鎮西に向かう決心であると院に奏上した。その義経の気色のただならぬのを見れば、主上法皇、文武百官、悉く皆引連れて下向しかねない様子である。これに対して如何様に沙汰あるべきかという院からのお訊ねであった。そう泰経卿は言った。余はお答えした、宣旨は罪八逆を犯し国家の敵となっているものに降ろすべきものである。頼朝のこの罪科あらば降し、罪科無くば降ろすべからず。(後略)型通りのお答えであったが、余は既に院の御心は院宣をおろすことに決まっており、事前に一応余にも諮ったという形を整えておくためのお質ねであると考えていた』


 果たして後白河院は兼実の予想通り義経を追討軍として頼朝追討の院宣を降ろすのだが、これこそ直接武力を持たない公家政治の治安維持の本質であり、源平争乱期を含む10世紀から12世紀にかけての王朝国家は、追討宣旨・追捕官符を発給して、国家に対する全ての叛乱を鎮圧し、凶徒蜂起を上奏した国解に対しては国守に追捕官符を発給して犯人を捕獲させて国家体制の安定を守ったのである。


 つまり、平清盛源頼朝と異なって自らは武装しない王朝国家は、追討宣旨や追捕官符の発給を通して、軍事指揮権や合法的武力行使権を独占的に行使する仕組みを築く事で国家の安定を諮って来たといえる。


参考・引用資料は以下の通り。


「日本の歴史7武士の成長と院政」向井龍彦著 講談社学術文庫


後白河院井上靖著 筑摩書房