後白河院と寺社勢力(13)国守(6)谷底から平茸を握って生還した

 「受領(※)は倒るる所に土をつかめ」とは受領を語る上で必ず引き合いに出される言葉であるが、次に登場する信濃守藤原陳忠はまさに典型的な受領の体現者であろう。


(※)受領:任国に赴任する国守は前任者から事務書類その他を受継ぐので受領と呼ばれ下級貴族に多かった。それに対して、中央官庁の役職と兼任する国守は代人を置いて都に留まるので遥任と呼ばれた。


「巻第28 本朝付世俗 信濃守藤原陳忠、御坂におちたる語(こと)」


 今は昔、信濃の守藤原の陳忠と云う人がいた。
 任国での任期を終えて多くの馬に荷を載せ、郎党の乗った馬も数知れぬほど連なって京に上る途上で難所とされる神坂峠に差し掛かったところ、どうしたことか信濃守の乗った馬が懸橋の縁を踏んでまっ逆さまに谷底に落ちていった。


 驚いた郎党たちが馬から降りて懸橋の端に並び、太い檜や椙の木から生繁る梢の遥か彼方に目を凝らすと深い谷が横たわり、信濃守が万に一つも生きているとは考えられない。


 「下る手立てがないので、殿がどんな様子かを見ることも出来ない。もう一日先に進んで浅い方から廻り込んで探す手立てもあるが、とにかく、今はどうする事も出来ない」などと、各々ががやがや騒いでいる内に、遥か谷底から叫ぶ声が聞こえる。


 それに応えて郎党が「守の殿はおられるか」と叫べば、「旅用の行李に長い紐を括りつけて下に降ろせ」との声が戻ってきたので「ああ、殿は生きておられて何かに掴まっておられるのだ」と皆は安心して、馬の口に付けた縄を集めて長い長い紐を作る。


 行李に結び付けた紐をくねくねと降ろしてやっと谷底に紐が達したと思われる頃、下から「紐を引き上げよ」との守の声がして、「引けとおっしゃっている」と郎党が紐を引っ張ろうとすると、行李がいやに軽いので「これはどうしたことか。殿が掴まっておられればこんなに軽いはずは無いのだが」と怪訝に思いながら紐を引っ張り上げると、行李の中には平茸がぎっしりと詰まっていた。


 呆れた郎党たちが互いに顔を見合わせていると、すかさず「行李を又降ろせ」と下から叫び声がするので、また下ろすと、「上げろ」との声があり、再び行李を引き上げようとすると今度は重く、多勢の郎党が力をあわせて紐を引き上げたところ、片手は縄に捕まり片手に平茸を3房ほど掴んだ信濃守が行李に乗って谷底から上って来た。


 引き上げられた信濃守を懸橋の上に据えて、郎党たちは皆喜びながら「一体この平茸はどうされたのですか」と尋ねると、

 守は「馬に乗ったまま逆さまに落ちたものの、馬は一直線に底に落ち、私の方はゆらゆら回転しながらびっしりと繁った枝の上に落ちかかったので、木の二股のところ掴まり足場を固めて周囲を見ると、その木に平茸がびっしり生い茂っていたので見捨てるのが勿体無く、先に、取れる限りの平茸をとって行李に入れたのだが、まだ幾つか残っているのは何だか大きな損をしたみたいだ。あー勿体無い事をした」と残念がり、「確かに大きな損でございましたな」と応じた郎党たちはワッと皆で笑いあった。


 それをみて信濃守が「お前達は冷やかしているようだが、私としては、宝の山に入りながら手を空しくして帰った心地がする。『受領は倒るる所に土を掴め』と云うではないか」と言うと、


 年配の目代(代官)が、心の中では苦々しく思いながらも「確かにさようでございます。手近に取れる物があれば取るべきです。何方に伺ってもそうすべきだとおっしゃいます。もとより賢い方はこのように生死にかかわる時においても少しも心乱れることなく、常日頃と同じように取れる物はお取りになります。

そうであればこそ、国の政においても民を安らかにして、税もよく納めさせ、そのような心がけで都に上ってゆかれれば、任国の者共は殿を父母の様に慕い、殿も末永く栄える事でしよう」などと言いながら、忍んで仲間と大笑いをした。


 これを思うに、このように生死の危機に直面しながら、動揺することなく、先ず平茸を取って先にあげる心のありようこそ常軌を逸して気味が悪い。ましてや、在任中は機会を見逃さずにどんなに私腹を肥やしたことかと思いやられる。



この話を聞いた人は、いかに、信濃守を憎みあざ笑ったかと、語り伝えられている。