後白河院と寺社勢力(12)国守(5)書生を殺して悪事を隠蔽した日

 さて、国守は当時どのような眼で見られていたか。「今は昔」で始まる一千余の説話を集めて平安時代末に編纂された「今昔物語集」(岩波文庫)から幾つか拾ってみた。


最初は、悪徳国守を語る上で必ず引き合いに出されるこの物語から。

「巻第29 本朝付悪行 日向守○○、書生(※1)を殺せる語(こと)」
 

 今は昔、日向守に○の○(欠字)という者がいた。
 任国で悪辣な収奪をして帳尻だけは何とか合わせてきたものの、任期を終えて新任との引継ぎに当たり、事務処理能力に長けた部下の書生を一室に閉じ込めて古い記録や帳簿を改竄させる事を思いつく。

 
 部屋に閉じ込められて文書の書き換えを強いられた書生は「こういう命を受けた自分が新任の国守に告げ口をしないかと恐れて、いずれ自分は主に殺されるのではないか」と思い逃亡を企てるが、部屋の周囲には屈強な男4、5人が見張っているので逃げることも出来ない。

 
 20日ほど費やして何とか仕事を終えた書生に、主人は「この度のお前の尽力大いに有難く、都に戻っても忘れることはない」と謝意を表して絹や禄など褒美を与えるが、帰り際に見送りの郎党を近くに呼んで何事かを囁くので書生は不安に耐えない。


 主人が姿を消すと書生は郎党に物陰に連れ込まれ「気の毒だが主人の仰せで死んでもらう事になった。私としては命令に従う他はない」と云われ、やはりと思ったが、「どうせ死ぬのであれば、せめて家に立寄って80歳になる母と10歳になる子どもの顔を一目みたい」と訴えると、郎党も心を動かされて同意する。


 家に着いた書生が、足腰が立たないので人に支えられて出てきた老母と10歳の子供を抱いた妻に「私に過ちはないが前世の宿世にて命をとられることになり、今一度顔を見たくて立寄った。この子は自分で何とか一人前になるであろうが、お前達を残して行くことの方が殺されるよりも辛い。さあ、もう家に入りなさい」と名残を告げると、老母は気を失って倒れ、妻と子供は泣き崩れ、郎党ももらい泣きをした。


 しかし、郎党は主人の命令を果たさなければならず、「何時までも長話をするな」と書生を引き立て栗林に引き込んで射殺し、書生の頸を持って帰って主人に報告した。


 このことを思うに、虚偽の文章を書かせただけでも罪は重いのに、ましてや悪事がばれることを恐れて罪のない書生までも殺した罪は尚重く、一体日向守はどのくらいの悪行の報いをうけたであろうか。これは重大な盗みの犯罪に異ならないと聞く人は日向守を憎んだと語り伝えられている。


 と、今昔物語は結んでいるが、他方で、日向守は無事に都に凱旋して名国守と讃えられ、新たな任地に下って行ったとも伝えられている。


 当時の官僚機構のトップにとっての国司(国守)の役割は、任国でどれだけ多額の税を取り立てて中央政府に上納するのかにかかっていて、どのようなやり方で取り立てたか、どれだけ国守が私腹を肥やしたか、などは二の次であったから、案外、日向守のような国守が中央政府から高い評価を受けていたのではないかと思われる。


※ 1 書生(しょしょう):国府(※2)の下級官人、書記官。
※ 2 国府(こくぶ、こくふ):律令制で一国ごとに置かれた国司の役所。