後白河院と寺社勢力(14)国守(7)「寸白が信濃守に任じて解け失

 「今昔物語 巻第28 本朝付世俗 寸白(※1)、信濃守に任じて解け失せたる語(こと)」


 今は昔、
 お腹に寸白を持つ○の○という者の妻がいた。その女が懐妊して男の子を生み、その子を○と名付けたが、成長して元服の後に官位を得て、遂に信濃守となった。


 さて信濃守が任国に下向するに当たって、信濃の国境で任国側の官人から「坂向かへ(※2)の饗」を受け、引き連れて来た家来どもと宴席に着いたところ、任国側の者達も数多く同席したのだが、信濃守の前の机から始めて果ての机に至るまで、胡桃だけを様々に調理した数多の料理が膳に盛られていた。


 これをみて、信濃守はどうしょうもなく侘しく思い、ひたすらわが身を絞るようにしていたが、致し方なく「どうしてこのように胡桃の料理だけが山のように盛られているのであるか」と問うと、


 「この国には至る所に胡桃の木が多く生えております。そうであれば、殿を歓迎する御菜にも、役所の上下の人たちにも、ただこの胡桃をあれこれの料理に用いております」と在地の役人が応え、それを聞いて信濃守は益々身を絞るようにしている。


 この様子を奇異に感じた老獪な介(※3)は、「もしかして、この人は、寸白が人間となって生まれて、この国の守となって赴任したのではないか。であればこれを試してみよう」と思いめぐらし、酒に濃く擦り込んだ胡桃を溶かし込み、下役人に燗をさせて信濃守の席近くに運ばせ、自らは盃を折敷に据えて畏まった様子で酒を守に勧める。


 介が注いだ酒は白く濁り、これを見て心地悪くなった信濃守が「この酒の色は例に似ず白く濁っているが、これはどういうことか」と問えば、「この国にはもともとの習慣として守が下向される坂向かへに、三年を経た旧酒に胡桃を濃く摺りいれたものを在地の官人が勧め、守はそれを食すのがしきたりです」と仰々しく介が応えると、信濃守は顔色を変えてがたがたと震え始めた。


 「さ、さ、これは決まり事ですから召し上がってください」と介が強く勧めるので、信濃守は震えながら仕方なく盃を取り寄せ「実は私は寸白男。これ以上は堪えられない」と云うと、さっと水になって流れ失せて、骸もなかった。


 信濃守と共に下向した家来どもはこれを目にして「これは一体どうした事か」と怪しみ騒ぐがどうすることも出来ず、すかさず介が「貴方達はこの事を御覧になりましたね。これは寸白が人間の姿をして生まれた証拠です。胡桃をたくさん盛った御膳を見て甚だしく居心地悪い様子をした信濃守をみて、私はかつて聞いた話を思い出し、胡桃を濃くすり解かした旧酒で試したのですが、やはり予想通り解けてしまわれた」と解き明かし、在地の役人達を引き連れて立ち去っていった。


 信濃の守の家来どもは呆れ果てるばかりで、都に戻ってこの事を語ると、守の妻子・眷属は、彼らの話で主が寸白の生まれ変わりであった事を始めて知ったそうである。


 此れを思うに、寸白も人になって生まれることもある。聞く人は此れを聞いて笑った。稀有のことであれば、あちこちで語り伝えられている。


 何とも怪奇じみた話であるが、これは、新任国守(受領)が下国するにあたって、在庁官人たちが国境に出迎えて歓迎の宴、「境迎への饗」を催すのだが、その場を利用して手強いベテラン在庁官人が、悪意と好奇心をもって新任国守の賢愚を吟味する場面を描いたもので、悪徳・強欲といわれる国守に対して、在地役人が必ずしも言いなりになっていた訳ではないのである。


(※1)寸白(すはく):サナダムシなどの条虫の異称。あるいはそれによっておきる病気。
(※2)坂向かへ:境迎えの事で、新任の国司(受領)が任国に着いた時、国府の官人が国境まで出迎えた儀式。 
(※3)介(すけ):国の次官で在地の官人。