新古今の周辺(37)(余話)新古今体会得の要は古典知識と暗記力

ところで先述の『無名抄』における今の歌体(新古今体)会得の難しさについての長明の文章は私によく理解できなかったので、短歌に縁遠い私にも具体的にイメージしやすい解釈はないものかと古書店を巡り次の2冊の文献に遭遇した。そこで該当部分を私自身の「新古今を理解するための覚書」として丸写しのきらいがあるが引用したい。

1.『方丈記私記』堀田善衛 ちくま文庫

著者は「今の体を習得する心得のコツ」として『無名抄 66 俊成卿女・宮内卿、両人歌の詠みやうの変はること』から

「俊成卿女は、晴の歌詠まむとては、まづ日頃かけてもろもろの集どもを繰り返しよくよく見て、思ふばかり見をはりぬればみな取りおきて、火かすかにともし、人遠く音なくしてぞ案ぜられける。
 宮内卿は初めよりをはりまで、草子・巻物取り込みて、切灯台に火近々とともしつつ、かつがつ書き付け書き付け、夜も昼もおこたらずなむ案じける」

の部分に目を留めて、

【彼らが詠むところの歌は、すべてもろもろの家集や草子、巻物による、つまりは文学による文学なのである。現実世界にはなんのかかわりも関係もありはしない(中略)。そういう文学による文学は、たしかに「習ひがたく」はあるであろう、つまりは一定以上の古典知識がなければならないが、しかし、それならばそれで、一応のところを「よく心得つれば、詠みやすし」ということになる。つまりは古歌をとる、本歌取りということである。そうして「火(ともしび)かすかにともし」、あるいは「火ちかくともしつつ」、夜半にいたってこの本歌取りに熱中すればするほど、熱中することが出来れば出来るほど、現実遮断は高度に達成されるという次第になる。現実は夜の闇の中に扼殺される。批評家長明の、白い眼が私に見えて来る】

と、新古今体会得の要は古典知識にありとの持論を導き出している。


2.『国文學 平成2年12月号 新古今和歌集を読むための研究事典』學燈社

この号の久保田淳氏と佐々木幸綱氏の巻頭対談≪気分は新古今≫を読み進めてゆくと、新古今の人たちの顕著な特徴として現代のわれわれがすでに失った強力な記憶力・暗記力に言及している。ここで、その部分を抜粋して原文のまま掲載させていただく。

【佐々木:特に新古今の人たちは、本歌取をはじめとして、前の時代の歌を大事にしますね。覚える能力もあったし、たくさん覚えていたわけでしよう。歌を作ることは、とにかくたくさん覚えるということだと考えていたくらいでしよう。後鳥羽院の記憶力といいますか、歌の覚え方はすごかったという話がありますね。

久保田:そうですね。新古今集を選ばせている間に、撰歌をどんどんおぼえてしまったと『源家長日記』に言っていますね。

佐々木:現代人は、索引がいっぱいできているから、きおくしなくてもいいということで、記憶しなくなったんじゃないでしようか。そして、記憶できなくなってしまった。昔の人たちはとにかく暗記でした。

佐々木:歌を作るということが、覚えるということと重なっていたといいましようか。本歌取があれだけ網羅されている中世の歌の世界では本当にそれじゃないととてもやっていけませんね。

佐々木:振り返って新古今の時代を考えてみると、歌を作る前提として、少なくともそのベースに歌をたくさん覚えるということがあったはずですね。】


上記の文献から私は新古今体会得の要は古典知識と暗記力であるとの考えに至ったが、古典知識のマスターについては、歌集では最低限『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』の三代集、物語や草子では『源氏物語』『伊勢物語』『枕草子』などを読みこなすだけでなく、出来るだけ多くの歌を暗記することが求められていたのではないか。

因みに暗記力については、後鳥羽院新古今和歌集に採集した全ての歌を諳んじていたという話も伝わっているが、それは20巻に納められた1980首のみならず、収められなかった歌も諳んじていたと云う事でもあろう。