隠居のHarvard Summer School 留学記(16)

2004年7月21日(水)

【書く事と話す事は異なる能力を要求されるのか】

今日の午前のIntegrated Classの授業で、台湾人ビジネスマンC氏と組んで初めて「PEER EDITING CHECKLIST (PARAGRAPH)」を体験した。

これは、2人1組でチームを組み、それぞれが作成した文章を互いにチェックし合うもので、今回は事前に宿題として課されていたPARAGRAPH(短い文章)を、教材として配布されたチェックシートの項目(様式・文章の構成と内容・文法等)に添って、それぞれ要求を満たしている、満たしていない、の、判断結果を記入して最後にMa先生に提出する。この場合、パートナー間のレベル差が大きいと、適切にチェックし合うことが出来ないので私とC氏が組むことになったと、Ma先生に言われた。

そして、Ma先生は、授業終了時に提出させた宿題のPARAGRAPHも、私とC氏の分は受け取ったが、他のクラスメートのそれは受け取らずに書き直しを命じていた。

どうやら、私とC氏以外のクラスメートは、お喋りやディスカッションでは活発に発言するが、文章を書くことはまだまだ苦手のようだ。確かに、言葉が頭に浮かんだからといって、それだけでは書く表現にならない。言葉を組み立てるという作業を経なければ文章にならないわけで、そのためには構成力が要求される。

話すことと、書くことは、異なる能力を要求されるのであろうか。

写真はMa先生による私のPARAGRAPHに対する CHECKLIST

 

2004年7月22日(木)
【時には嫌な奴と組む事もある】

クラスメートの中には、自分が一番優秀だと、臆面もなく他人に披瀝する不愉快な奴も少なくないが、今日の午後のWork Shopの授業でプレゼンを組んだ南欧の男子大学生Pはその最たる者だった。強いお国訛りの早口英語で、いつでもしゃしゃり出て、そして、いつも自分のやりたいように場を仕切る。

今回は、そのP(腹が立つので呼び捨てにする)と2人一組で、ボストンのケネディ図書・博物館を見学し、そこで得た事を2人でチームを組んでプレゼン発表するもので、私たちに割り当てられたのは、ロバートケネディ元司法長官のコーナーで、一緒に観察し、プレゼンのシナリオを作成し、作業を分担し、共同でプレゼン発表を行わなければならない。

Pとは午前のIntegrated Classは別だが、午後のWork Shop は2クラス合同授業なので、それを通して、彼は、私が英語で素早く反応できないのは頭脳の働きが鈍いからだと決め付けていた。私は私で自信満々に話すPが一体何を言っているのか、全く聞き取れなかった。こうなると最悪の相手に巡りあったと腹をくくるしかない。

プレゼンは共同作業であるのに、Pは見学の段階から私に相談する必要はないと結論付けて1人で全ての作業を進めるつもりでいたが、チーム作業が課題なので、とにかく、情報収集を分担し、全体の筋書きを一致させるところまでは持ち込んだ。

ところがプレゼン資料作成になると、PはITに疎そうなおばさんに任せても碌なものが出来ないと思ったのか、彼の寮のコンピュータ・ルームに籠って、自慢のパワーポイントを駆使して見栄えのする資料を全て1人で作ると強く言い張る。

そこで、彼の案内で寮の地下のコンピュータ・ルームに足を踏み入れると、Windows 2000搭載の古いデスクトップPCが数台設置されていたが、Acrobat Readerのヴァージョンが古すぎるのには驚いてしまった。私が日本から持参したWindows XP 搭載のLet‘ noteのAcrobat Readerのヴァージョンは最新だ。はっきり言ってこの違いは得られる情報の量と質の差に直結する。

そんな私の驚きも知らずに、Pは資料が出来上がった時点で私のPCにメールで送信すると言っておきながら、遂に完成資料は届かず、私は自分がどういう資料で発表するのかを知ることなくプレゼン当日を迎える事になる。

Pの致命的な誤算は、最近のノートPCはフロッピー駆動装置を標準装備していないという、当然なことを知らなかった事で、フロッピーに読み込んだ彼の力作は陽の目を見る事が出来なくなった。ITに疎いと彼の目に映っていた私といえばスティック・メモリーを携行していたというのに。

Pの作った資料が使えないと判明した時点で、Pのクラス担当のMo先生とMa先生は私たちのプレゼンを中止するかと気を使ってくれたが、私は、万が一の場合にとプリントアウトしたWordで作成した資料を読み上げて切り抜けた。天下のHarvardと云えどもPC故障でプレゼン中止になることがしばしばあるのだ。

私のプレゼンに対して、クラスメートの一人が「Kazuはアイコンタクトが無く、ペーパーばかり見ていた」と批評したとき、何時も厳しいMo先生が、「今回はアクシデントが生じたにも関わらず、パニックに陥ることなく、万一のためと用意していたペーパーで切り抜けたことが一番大切な事」と、皆の前で私を援護してくれた。

Pは私に平謝りであったが、私は怒り心頭で口も利かなかった。まあ、親子ほど年の差があっても寛容になれない事もある。

写真上:ケネディ図書・博物館のパビリオンフラッグ、下:ロバート・ケネディコーナー (共に当時の公式サイトから)