後白河院と寺社勢力(139)僧兵(12)南都北嶺(6)堂衆(3)

 それでは学生の下働き的な存在であった下級僧の堂衆が、武力を備えた学生と合戦のプロたる武士を編成した官軍との連合軍を打ち破るまでの力をどのようにして備えたのであろうか。

 『延慶本平家物語』はこの辺りの事情を、
「堂衆と申すは学生の所従にて足駄(※1)・尻切(※2)なむどとる童部の法師に成りたる、中間法師共也。借上(※3)・出挙(※4)しつつ、切物・寄せ物沙汰して得付(とくづき)、けさ(袈裟)衣きよげに成て、行人とてはてには公号(きみな)を付けて、学生をも物ともせず。・・・・」と、簡潔に描写している。

 ここでの公名(きみな)とは、上流貴族の子弟が比叡山で弟子になった際、まだ得度していない間は父の官職名で「中将の君」、「兵部卿の君」などと公名・卿名で呼ばれていた風習を下層階級ではありながら経済力をもった堂衆が真似たものと思われる。

 院政期の寺社権門は、仁和寺伊勢神宮のように経済基盤を王権へ依存するものと、延暦寺興福寺日吉社・春日社のように、王権とは相互依存を維持しながらも、より自立した経済基盤を整えるものに分かれていた。

 そして後者の経済基盤の相当部分は、寺社領荘園から上がる年貢米を元手に諸国を往来して「出挙」と呼ばれる高利貸を活発に行う悪僧・神人が担っていたのであるが、彼らは何も滅私の精神でこのような経済活動を行っていたわけではなく、自らの分け前もたっぷり懐に入れて蓄財していたのであった。

 これらの悪僧・神人が積極的に手掛けた「出挙」とは、寺社領荘園から上がる年貢米を仏事・神事に奉げる「僧供米(※5)」「上分米(※6)」と神聖化して借り手の篤い信仰心に訴え、返却できなければ仏罰・神罰があたると脅せばよいので、金利がどんなに高くても貸し倒れの恐れは少なく、極めて利益率の高いビジネスであった。
http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20100516

 また、院政期は荘園の濫立が際立った時代でもあり、これらを整理するために後三条天皇が延久元年(1069)に定めた「荘園整理令」に伴う記録荘園券契所の設置、その後に相次ぐ白河院後白河院による記録所設置が土地訴訟を激発させることになる。

荘園所有を記録所登録に進めるには、まず土地の所有を決する段階で競合相手と争うために、力の乏しい下級貴族や地方の開発領主は武力を備えた悪僧・神人の力を借りるほかはなく、それが訴訟に発展したり、記録所への登録段階になると、日頃から寺社領荘園運営で培った官僚組織との武力を含めた交渉力や、複雑怪奇な法知識を知りぬいた悪僧・神人の力を借りるものが多かったのである。

何しろ地方開発領主の中には読み書きのできない者のも少なくなかったし、弁舌巧みな官僚との交渉力など備えているはずもなかったのである。

 こうした院政期の土地訴訟介入を『講座日本歴史3中世?』(東京大学出版会)は「沙汰を請取り、そして沙汰を寄せた者の自力救済を代行する行為」として「寄沙汰」と称し、そのピークは中世前期で、沙汰を請けるものの多くは山僧・神人であったと述べている。
http://d.hatena.ne.jp/K-sako/20100606

 ここでいう山僧とは延暦寺の僧を指し、身分の高い学生ではなく下級の堂衆が中核を占めており、日本歴史において最も国家の占める比率が小さかった中世前期の院政期は、この様な土地訴訟や「出挙」などから生じる私的債権の取り立ては国家が介入するのではなく自力救済にゆだねられていたのであった。

 堂衆たちはこのようにして得付いた(蓄財した)財力で近江国内はおろか畿内一円から窃盗・強盗・山賊・海賊といった「金の為なら命もいらない悪党」どもを引き寄せて隊を組み、学生と官軍の連合を相手に連戦連勝したのであった。

(※1)足駄(あしだ):歯・鼻緒のある板製履物の総称。近世以後は雨天に用いる高い2枚歯のついた下駄。

(※2)尻切(しりきれ):尻切れ草履の略。かかとに当たる部分を欠きうしろの方が切れたように見える短い草履。今昔物語集には「履きたる足駄尻切などを」とある。

(※3)借上(かりあげ):鎌倉時代室町時代初期、高利貸をすること、またはその業者。

(※4)出挙(すいこ):「出」は貸付、「挙」は回収の意で、古代の利子付消費貸借。
国が行う公出挙(こすいこ)は、春に官稲を農民に貸し付け秋に3〜5割の利稲と共に回収し、奈良中期からは利稲収入を目的とする租税的色彩を強めた。寺社や貴族・豪農が行う私出挙(しすいこ)は稲の他に銭や物も化し、年5〜10割の利子を公認された。

(※5)僧供米(そうくまい):僧侶への供物としての米

(※6)上分米(じょうぶんまい):古代〜中世、社寺へ年貢以外に神仏の供祭の費用として貢納した米。


参考文献 『京を支配する山法師たち〜中世延暦寺の富と力』 下坂守 吉川弘文館