養和元年(1181)8月に『造東大寺知識詔書』発令と同時に造東大寺大勧進を拝命した重源は、朝廷が予め定めていた10月6日の「大仏補修始」の日程に添って大仏の螺髪(らほつ)鋳りから着手するために、10月9日には重源自ら先頭に立って洛中の貴賎を一軒、一軒、勧進して、法皇・女院はもとより市井の人々から銅、銭、金などの金属を中心にした奉加を受けるという61歳とは思えない素早い行動を見せている。
(上図は一輪車に乗って勧進する重源『土木の絵本:人をたすけ国をつくったお坊さんたち』全国建設研修センター企画・編修 より)
ところで螺髪とは何かといえば、巻貝に似た仏像の髪の様式を指し、5尺3寸(約16m)の高さを誇る東大寺大仏の頭部を覆うとすれば、螺髪自体の大きさもさることながら、用いられる数も半端ではなく、畢竟それに要する金属の量も並ではなかったから、当時の逼迫した状況からも重源の勧進の苦労が偲ばれる。
(上図は東大寺大仏 『国宝南大門仁王尊像修理記念 東大寺展カタログ』より)
参考として永禄10年(1567)10月10日の三好松永の兵火によって頭部を損傷した大仏の補修の為に造られた螺髪を下図に示すが、台座無しの高さは22センチ、付根の直径は23センチで、用いられた螺髪は966個に及んだとされる。