後白河院と寺社勢力(15)国守(8)猫攻めで藤原清廉から徴税した

「今昔物語第 巻第28 本朝付世俗 大蔵の太夫藤原清廉、猫を怖ぢたる語(こと)」


 今は昔、
 大蔵省の三等官を務めて従五位下を授けられ大蔵の太夫(※1)と呼ばれる藤原清廉(きよかど)という者がいた。


 その男は前世が鼠だったのかと思われるほど猫を怖がり、行く先々で血気盛んな若者が彼を見つけると猫をちらつかせるので、大事な用で外出したにも拘らず、顔を覆って逃げて帰り、世間の人はこの男を「猫怖ぢの太夫」と名付けた。


 この清廉は、山城・大和・伊賀三カ国に数多の田畠を所有する富豪にも拘らず、藤原の輔公(すけきみ)の朝臣が大和守であった時に租税を一切納めなかったので、大和守は「全くの田舎者でもなく、中央の役所勤務の功により五位を授けられた者であれば、検非違使庁に引っ立てるわけにも行かず、かといって抜け目の無い奴だから手ぬるく扱えばああだこうだと言い抜けて事を済ませようとするのが目に見えている。一体どう攻めたものか」と思い巡らしていると当の清廉が参上した。


 大和守は先に四方を壁に囲まれた二間程の侍の宿直部屋に入ってから、家来の侍に清廉を案内させ、自らはにこやかに応対しつつ家来にそっと合図をして遣戸を閉めさせてから、「大和での私の任期も今年だけになりました。それなのに、あなたからの租税の納入の沙汰が一切無いのはどういうことか」と切り出した。


 清廉は「その事でございますが、この大和だけではありません。山城、伊賀の国についても処置が滞り滞納分が多額になってしまいましたので納入できずにおります。他の時でしたらつべこべ申すところですが、殿のご在任中には例え千万石といえども何とか全額お納めする積りです。 年来分相応に蓄えもいたしておりますのに、殿からこのようなお疑いをかけられるとはなんとも情けない」と言いながら、心中では「この貧乏人が何を抜かすか。屁でも引っ掛けてやりたい位だ。帰ったら直ちに伊賀国東大寺の庄に逃げ込めば如何に国守といえども俺を追及することは出来まい。これまでだって天の分・地の分などと言いくるめて税を納めないできたのだから」と思いながらも神妙にかしこまった表情を取り繕う。


そんな清廉に対して大和守が「盗人心を持ちながらよくぞ口綺麗なことを言う。一度家に戻ると二度と要請に応ぜずこのままで済ませる積りなのであろう。とにかく、今日中に決着をつけてもらいたい」と切り込むと、清廉は「わが君、家に戻りましてから、月内には何とか始末をつけるように急いで手配をいたします」と哀願、泣き落としを交えて、ぬらりくらりと言い抜けて一行に埒が明かない。


これまでとみた大和守は険悪な表情で「今日は、この輔公は死ぬ気で決着をつけるつもりでいる」と言って「男共居るか」と声高に呼びかけるが、清廉はびくともせずむしろ微笑を浮かべていたが、登場した侍に「例の物をこれへ」と大和守が命じるのを聞いて、「私に恥を掻かせる事などできないはずだが、一体何をしようとしているのか」と訝っていると、


「その遣戸を開けてそこから入れよ」との大和守の言葉と共に、赤目に透明な黄褐色の、まさに鬼の目のような不気味さをたたえた、丈一尺ばかりの灰色の斑猫が大声で鳴きながら部屋に飛び込み、さらに同じような猫が5匹後から続くのを見て、さすがの清廉も目に大粒の涙をためて両手を摺り合わせて大和守に哀願する。


その間に5匹の猫は清廉の袖を嗅ぎ、あっちの隅からこっちの隅へと走り回るので、清廉は顔面蒼白になってがたがた震えるので、少し気の毒に思った大和守は、侍を呼んで五匹の猫に縄をかけ遣戸の近くに繋がせるが、5匹の猫は凄まじい鳴き声を周囲に轟かせる。


冷や汗びっしょりで生きた心地もしない清廉に、ここぞとばかりに大和守が「さ、今日のうちに全ての税を納めてもらいましようか」と言うと、清廉は声を震わせながら「先程は後日納めると申しましたが、命がなければそれも出来ないのですから、今すぐに」と応じたので、大和守は家来に硯と紙を運ばせて、


「この紙に、大和国の宇陀の郡にある稲・米を収める旨の下文(※2)を書いてもらいたい。それを書かないのであれば、先ほどと同じように猫を部屋に放ち、戸を閉めて私は出て行く」と大和守が言えば、「それでは私はとても生きてはおられません」と清廉は手を摺り合わせて、宇陀の郡の家にある稲・米・籾(もみ)三種の物を5百石分の取立てに応じる下文を書いて大和守に渡す。


 大和守は受け取った下文を郎党どもに持たせ、清廉を伴にさせて宇陀の郡の家に遣わして、下文通りの品々を取り立てさせた。


 然れば、清廉が猫に怖ずるを馬鹿げた事とおもえど、大和守輔公の朝臣のためには、非常に重要なことであったと、その時の人々は取り沙汰して、世間の人は皆笑いあったと語り伝えられている。


(※1)太夫(たいふ):五位を授けられた者の称。
(※2)下文(くだしぶみ):上位者からその管轄下の役所や人民などに下した公文書。


 なんとも凄まじい説話ですが、この藤原清廉が生きた藤原道長が栄華を極めた時代は、国司(国守)の税の取立てから逃れるために、荘園を寄進して道長等の中央権門や東大寺興福寺延暦寺などの寺社権門の傘下に入る富裕な私営田領主が後を絶たなかった。