後白河院と平家の女(2)丹後局(下の1)生母が若狭局なら平清盛は

  これほどの存在感を持つ丹後局については後白河院の寵臣で今様の弟子でもあった平業房の美貌の妻という以外は余り知られていない。精々、九条兼実の日記「玉葉」に「法皇無双の寵女丹後、卑賤者也」との記述が見られるくらいで、これは、後白河院から所望されて仕方無しに寄進した領地が丹後局に与えられたことが分かって腹立ち紛れに書きなぐったようだ。


 ところで、図書館から借りた「後白河院〜動乱期の天皇」(財)古代學協會編 平成5年3月刊行 吉川弘文館)に目を通していると、古代学研究所の西井芳子氏が、丹後局の母は後白河院最愛の女性・建春門院の乳母の若狭局ではないかと、何とも想像力を掻き立てられる魅力的な推論を「若狭局と丹後局」のタイトルで展開されている。


  


そこで、西井芳子氏の推論の骨子を紹介すると、氏は最初に以下に挙げるような幾つかの疑問から出発され、

  (1) 治承のクーデターで寡婦となっていた丹後局が何の縁で鳥羽殿に幽閉されている後白河院の許へ出仕することになったか、

  (2) 丹後局の夫・平業房の生前彼の浄土堂に後白河院と建春門院が揃って御幸されているが、これは単に業房が院の近臣であったからなのか、

  (3) 当時の摂政九条兼実丹後局を「遊君」と蔑視しているが、本当に彼女は何の後ろ楯もない「卑賤者」であったのか、


そして、数々の資料に当られた結果、建春門院の乳母である若狭局について以下のような結論を導き出されている。

  (1) 後白河院の最愛の女性であった建春門院の乳母・若狭局は、丹後局の生母である。

  (2) 若狭局の本名は平政子である。

  (3) 若狭局の父は清盛の祖父・「平正盛」ではないか。


そうなると丹後局系図はこんなふうになるのかしら?

(下図は西井芳子氏作成の系図を参考にして私が作った丹後局系図



 

ワオ!!もしこの説が正しいとすれば、丹後局(高階栄子)は平清盛と従兄妹同士になるわけで、そうなると、当時の歴史をもっともっと多面的に解釈できるのだが。

さて、そこで、若狭局と丹後局の血縁関係の証明になるわけですが、それと私の歴史の深読み解釈は次回に。