建久3年(1192)2月8日、後白河院の崩御により関白としての手腕を存分に発揮できる時を得た九条兼実は、一人の興福寺の僧を自宅に招いて遁世を思い留まるように説得していた。 興福寺は藤原氏の氏寺であり、その藤原氏を代表する兼実にとって、当時学…
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